
1928ビル
昭和3年(1928)に建てられた武田五一氏設計の建築物。元は大阪毎日新聞社の京都支局ビルで、社章をモチーフにした星の形の窓が目を引く。ビル内にはカフェやギャラリー、3階の劇場では、セリフを一切使わない舞台『ギア』のロングラン公演を開催中で、国内外から注目を集めている。
- 「京都市役所前駅」から徒歩6分/「三条(京都)駅」から徒歩9分
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昭和3年(1928)に建てられた武田五一氏設計の建築物。元は大阪毎日新聞社の京都支局ビルで、社章をモチーフにした星の形の窓が目を引く。ビル内にはカフェやギャラリー、3階の劇場では、セリフを一切使わない舞台『ギア』のロングラン公演を開催中で、国内外から注目を集めている。
上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のために、江戸初期に建てられた陣屋(宿舎)。大名の安全を確保するため、大広間の天井に武者隠し[むしゃかくし]を設けたり、隠し階段などが随所に設備されていたりする数寄屋造りが特徴的。防火設備も見事である。主屋と土蔵が国の重要文化財に指定されており、見学は要予約。
徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として慶長8年(1603)に造営。後に3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸に伴い大改修が行われ、現在の規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなる。豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている二の丸御殿の障壁画(一部重要文化財)は、狩野派の作で『松鷹図』がよく知られている。本丸御殿は京都御所内にあった桂宮家の御殿の一部を移築したもの。
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
三条通りに面して立つ、大正5年(1916)に建てられた旧不動貯金銀行京都支店を利用したテナントビル。かわいい雑貨店やカフェなどが入り、独特のレトロ空間が広がっている。国登録有形文化財にもなっている建物は、1階がレンガ造り、2・3階が木骨レンガ造りの内装は豪華ながらどこか懐かしい。足を踏み入れると、タイムスリップしたような気分に。
円山公園には龍馬と慎太郎の雄姿が。友達と写メを撮って記念にすれば、二人のような信頼関係を築けそう。
大正時代の木造洋風建築を平成16年(2004)にリノベーション。カフェや雑貨店などおしゃれ系ショップが多数。京都らしさ溢れる男着物店やギャラリーショップなど、独創的な展開にリピーター続出。飲食店にも定評アリ。京都市登録有形文化財に指定されている。
明治8年(1875)、日本人として初めて欧米の高等教育機関から学位を取得した新島襄が「同志社英学校」として創立。当初、教師は創立者の新島と宣教師J・D・ディヴィスの2人、生徒は8人だった。現在はキリスト教主義による教育を行う総合大学として、京田辺市にもキャンパスをもつ。構内の赤レンガ造りの彰栄館、有終館、同志社礼拝堂、クラーク記念館、ハリス理化学館の5棟が国の重要文化財。アーモスト館と啓明館は登録有形文化財に指定されている。
詩仙堂への道筋にある松の木。宮本武蔵と、足利将軍家の剣道指南役を務めた吉岡清十郎の門弟が決闘した場所と伝わり、「宮本・吉岡決闘之地」の碑が立つ。もとは比叡山への道標として植えられたという。
後水尾上皇により、万治2年(1659)に造営された離宮。比叡山の裾野に広がる広大な敷地に、松並木で結ばれた下離宮、中離宮、上離宮という3つの庭園が配されている。表総門を入った所が下離宮で、数寄屋造の寿月観[じゅげつかん]がある。続く中離宮は、華麗な装飾が施された客殿が見事で、天下の三棚の一つの霞棚も忘れずに見たい。上離宮は、浴龍池を中心に茶屋を配した大庭園。山腹に立つ隣雲亭からの眺望はすばらしい。ぜひ訪れたい洛北随一のスポット。
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