
十夜ケ橋 永徳寺(別格霊場)
弘法大師が修行の途中に橋の下で一夜野宿され、衆生済度の詩を詠んだところ。橋の下には布団をかぶった大師像がある。遍路は橋の上では杖をつかない風習はここが起源である。
- 「五郎駅」から徒歩19分
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弘法大師が修行の途中に橋の下で一夜野宿され、衆生済度の詩を詠んだところ。橋の下には布団をかぶった大師像がある。遍路は橋の上では杖をつかない風習はここが起源である。
養老2年(718)開創。標高812mの出石山山頂にある寺。22万平方mの広い境内は自然林に覆われ、本堂・庫裏・護摩堂・大師堂・銅鐘(重要文化財)が荘厳な佇まいを見せている。寺一帯は瀬戸内海国立公園に指定されており、石鎚連峰や瀬戸内海、中国地方や九州の山々も見渡せる絶景。秋~冬にかけての早朝、雲海を見ることができる。宿泊(素泊り1泊4000円)もでき、境内にうどんを食べられる売店(不定休)もある。
木造十一面観音立像(国指定重要文化財)が安置されている瑞龍寺をとり囲むようにして桜が咲き、毎年4月第1日曜に行われる春期大祭には人々の目を楽しませる。
大宝元年(701)の創建と伝わる古刹で、四国霊場第44番札所。菅生[すごう]山中にある。数度の火災で仁王門や本堂などは明治以降の再建だが、仁王門に奉納された多数のわらじと巨大わらじ、本堂に祭られた十一面観音菩薩像、境内にある芭蕉と山頭火[さんとうか]の句碑などみどころは多い。また、境内に立つ杉や檜の古巨木にも圧倒される。
豪壮な山門を持つ、伊達家の菩提寺。初代宇和島藩主秀宗が生母の菩提のために元和4年(1618)に建立した。境内の苔むした墓所には歴代藩主の墓が並ぶ。池泉観賞式の龍華山庭園もある。
平城天皇の勅願により、弘法大師が1本の霊木から薬師如来、阿弥陀如来、十一面観世音菩薩を刻んで開基。1番札所から一番遠いため四国霊場の裏関所とよばれる。
欽明天皇の勅願により開基。源頼朝が池の禅尼の菩提を弔うため権現堂などを建てたことから、源頼朝ゆかりの寺として知られる。平成19年(2007)、本堂、大師堂、鐘楼堂などが国の登録有形文化財となる。
弘法大師は、この地で出会った白髪の老人が五穀大明神の化身であることを悟り、老人の尊像を刻み、稲荷大明神として安置。旧本堂は、明治初期に稲荷神社の社殿に。「三間のお稲荷さん」として親しまれている。納経は7~17時。
第12代景行天皇の御子・國乳別皇子を祀る。日本武尊と兄弟にあたり、宇和別の祖、南予地域を開拓し治めた神である。1200年以上の歴史を持ち、代々の領主に総氏神として崇められる。特に江戸時代の伊達家入部後、伊達10万石の一ノ宮として崇敬篤く、現在も「いっくさま」の愛称で親しまれる。例年10月29日の神輿渡御では宇和島で唯一の八ツ鹿踊り、元祖丸穂の牛鬼、大工町の猿田彦、佐伯町の獅子舞が町中を練り歩く。
家畜の守り仏として信仰を集めた寺で、近年はペット供養に訪れる人も多い。納経所前には珍しい茅葺き屋根の鐘楼がある。毎年7月土用の丑の日には「瓜封じ」が行われる。
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