
別宮山南光坊
大山祗神社の別宮とし建立、八十八カ所で唯一「坊」の名が付く。航海安全の神を祀る大山神社は海を渡らなければならないため、大宝3年(703)に南光坊を含む8つの坊がこの地に移されたという。書家・川村驥山の書や菅笠を保管。
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大山祗神社の別宮とし建立、八十八カ所で唯一「坊」の名が付く。航海安全の神を祀る大山神社は海を渡らなければならないため、大宝3年(703)に南光坊を含む8つの坊がこの地に移されたという。書家・川村驥山の書や菅笠を保管。
天平13年(741)の聖武天皇の勅使により全国各地に建立された国分寺の一つで、四国霊場第59番札所。唐子山を背景に本堂と大師堂が立ち、書院には寺宝の国分寺文書三巻などが展示されている。本堂から約100m東には国分寺塔跡(史跡)があり、高さ約1.2m、広さ約100平方mの基壇上に13個の礎石が残っている。
聖武天皇の勅願所で、行基が刻んだ阿弥陀如来像が本尊。寺宝は慶安3年(1650)に家次という町人が納めたという銅板製の納札で八十八ヵ所で最古のものとか。大師堂横にはキリシタン灯籠が立つ。
時宗の開祖、一遍上人の修行の場として知られる。現在の伽藍は、江戸時代の名僧・龍湖が再建したもの。聖天堂は夫婦和合や商売繁盛などにご利益ありとか。
四国霊場八十八カ所第49番の札所。天平年間(729~749)の創建で、空也上人が天徳年間(957~961)に逗留したと伝わる。本堂と木造空也上人像(拝観不可)は、国指定の重要文化財。本堂は和様と唐様の折衷建物で国の重要文化財。浄土寺の南約3kmには、天平13年(741)に創建された第48番札所の西林寺がある。また、浄土寺から県道40号を北上すると第50番札所の繁多寺もある。
嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開基。府頭山で風波海難の平穏を祈願、護摩供養を行った。満願の日に現れた阿弥陀如来を本尊とし堂宇を建立。
四国霊場第51番札所であり四国遍路のルーツともいわれる衛門三郎[えもんさぶろう]ゆかりの寺。神亀5年(728)に伊予大領越知玉純[おちたまずみ]が創建。本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂[かりていもてんどう]、護摩堂、梵鐘はすべて重要文化財。文保2年(1318)再建の仁王門(国宝)は、重層の楼門で特に蟇股[かえるまた]が美しく、左右に翼廊・高欄が巡る。仁王門の左右金剛力士像は運慶一門の作といわれる。
末広学校は正岡子規が最初に入った寺子屋式の小学校で、のちに智環学校と名前が変わる。かつては正岡家累代の墓があったが、昭和2年(1927)に正宗寺に移された。年末の除夜の鐘は自由に参加できる。その後、新春祈祷のおつとめにも参加可。
堀之内にあった松山歩兵第二十二連隊の歩哨舎が移設されている。第二十二連隊の忠魂碑もある。秋山好古が揮毫した「天壌無窮」(天と地と共に永遠に続く)の碑も。平成29年(2017)正月より、墨絵アーティストとして著名な茂本ヒデキチ氏作、奉納の干支、開運大絵馬(縦2.8m×横3.5m)を境内に設置している。大絵馬の前では記念撮影等の参拝者で賑わっている。平成30年(2018)4月より、遺族から奉納された遺影・遺品等を転じしている「祈念史料室 みゆき」を開設。
行基が近見山に不動明王を刻み本尊としたのが開基。鎌倉時代には凝念国師が、学僧の教科書ともいえる「八宗綱要」を書いたといわれる。伝説の鐘、近見太郎の次の、有形文化財に指定されている「近見二郎」は除夜の鐘の時にのみ聞ける。
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