
墨染寺
境内にはソメイヨシノの他に墨染の地名の起こりと伝えられる、墨染桜がある。この墨染桜は、平安時代の歌人・上野峯雄が時の関白・藤原基経の死を悼み、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、桜が本当に薄墨色に咲いたという云われがある。花は小さく白色の単弁。現在は四代目が花を咲かせる。
- 「墨染駅」から徒歩3分/「伏見(京都)駅」から徒歩10分
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境内にはソメイヨシノの他に墨染の地名の起こりと伝えられる、墨染桜がある。この墨染桜は、平安時代の歌人・上野峯雄が時の関白・藤原基経の死を悼み、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」と詠んだところ、桜が本当に薄墨色に咲いたという云われがある。花は小さく白色の単弁。現在は四代目が花を咲かせる。
赤穂藩家老・大石内蔵助は、吉良家の目を欺くためこの寺の境内に隠棲した。四十七士の木像や浅野長矩の位牌を祭り、討ち入りで使われた手槍なども保存している。内蔵助の念持仏だったという本尊不動明王像は毎年討ち入りをした12月14日から1月28日まで公開している。内蔵助の広大な屋敷跡全域に咲き誇る桜は圧巻。秋の見事な紅葉は、山科義士まつりの12月14日頃まで境内を鮮やかに彩る。通称「大石寺」。
三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
本堂に本尊の大聖歓喜天[だいしょうかんきてん]を安置しているところから西陣聖天とも呼ばれる。境内には本堂、観音堂、大師堂、不動堂、稲荷堂、庚申堂が並び、その間をさまざまな樹木が彩る。観音堂に安置されているのは、藤原期の作と伝わる千手観音立像(重要文化財)。東門隅には染物がよく染まるという染殿ノ井がある。4月中旬に咲く御衣光[ぎょいこう]という桜は、花びらが緑の珍しいもの。
坐禅体験は、短い時間設定や丁寧な説明、分かりやすい法話など、初心者でも参加しやすい工夫が満載。
西国三十三カ所第17番札所。空也上人が天暦5年(951)に開いた西光寺を、上人の没後、弟子の中信が六波羅蜜寺と改名した。悪疫退散を念じて空也が刻んだという本尊の十一面観音立像(国宝)は本堂(重要文化財)に安置、12年毎の辰年に開帳される。宝物館には念仏を唱える姿の空也上人像(重要文化財)や平清盛像(重要文化財)など鎌倉時代の彫刻が収められている。
知恩院の大鐘で、方広寺、東大寺とともに三大梵鐘として知られている。重さは約70トンもあり、僧侶が17人掛かりで撞くという。大晦日や4月の御忌大会に撞かれる。
鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある。
熊野神社、新熊野神社とともに京都三熊野に数えられる。境内には樹齢400年以上のナギの木が立つ。平成29年(2017)9月に倒木の恐れがあったため、2m50cmを残して伐採。
勝林院で声明を修行する学僧の僧坊として建てられた。客殿の西側と南側には庭園が広がる。西の庭にある不断桜は、秋から春にかけて花を咲かせ続ける珍しいもの。茶花を中心に植えられた、季節の花々を楽しみながら散策したい。
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