
大安禅寺
第4代福井藩主・松平光通によって、万治元年(1658)に建立された松平家の菩提寺。建物一帯は国の重要文化財に指定。寺宝も多い。本堂裏には、笏谷石[しゃくだにいし]を1360枚敷き詰めた千畳敷とよばれる歴代藩主の墓地があり、高さ4mもの墓石が並ぶさまは圧巻。気軽に参加できる坐禅コースや四季折々の食材を使用した精進料理もある。ともに予約が必要。
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第4代福井藩主・松平光通によって、万治元年(1658)に建立された松平家の菩提寺。建物一帯は国の重要文化財に指定。寺宝も多い。本堂裏には、笏谷石[しゃくだにいし]を1360枚敷き詰めた千畳敷とよばれる歴代藩主の墓地があり、高さ4mもの墓石が並ぶさまは圧巻。気軽に参加できる坐禅コースや四季折々の食材を使用した精進料理もある。ともに予約が必要。
七堂伽藍の中心に位置する明治35年(1902)改築の国指定重要文化財。「覚皇宝殿」とも呼ばれ、二重屋根のように見える一重裳階付きの荘厳で美しい姿が印象的。国土安穏、万邦和楽を願う道場で、須弥壇には過去・現在・未来の三世を表す三世如来を安置。中央の本尊・釈迦牟尼仏が現世仏、本尊に向かって左側の阿弥陀如来が過去仏、右側の弥勒菩薩が未来仏となっている。
永平寺の開祖道元禅師が開山前の2年間を修行した寺。道元禅師像や道元筆と伝わる守り札などの寺宝を所蔵。境内には道元坐禅石も残っている。
開基は享保6年(1721)。曹洞宗大本山永平寺の直末寺で、歴代鯖江藩主・間部家の菩提寺でもある。特に目を引くのは本堂の天井に描かれた墨絵。7代藩主の間部詮勝[まなべあきかつ]が描いた竜神、風神、雷神の3枚の墨絵は縦が5.4mほどもある大きなもので、大胆な構図と力強い筆遣いが迫力満点。いずれも市指定文化財。
九頭龍川の守護神として創建。日本古来の四大明神の一つとされた毛谷黒龍神社。厄除けや生命力の向上、子授け・安産や商売繁盛の神社として信仰が厚い。強い力で邪気を祓う、降魔調伏のパワースポット。
天保14年(1843)再建の江戸時代末期の建物で、一般の寺院の本堂にあたり、永平寺貫首の説法や毎朝の勤行、各種法要が行われている。国の重要文化財に指定されており、堂内は420畳敷と七堂伽藍の中では最大規模を誇る。中央の須弥壇に祀られているのは聖観世音菩薩。境内の最も高い位置にあるため、ここから見下ろす紅葉や冬の雪景色の景観は格別だ。
若狭湾が一望できる青葉山中腹に立つ古刹。大同年間(806年~)平城天皇の勅願によって泰澄[たいちょう]が創建したと伝えられる。入母屋造檜皮葺きの本堂(重要文化財)に安置された本尊の馬頭観音坐像(重要文化財)、湛慶の作である山門の金剛力士立像(重要文化財)は、ともに鎌倉時代のもの。御本尊は秘仏で平成30年(2018)1月から3月に東京国立博物館で開催される「仁和寺展」に公開する。
承応2年(1653)、松岡藩主の松平昌勝が祖母を弔うため建立、のち昌勝の菩提寺に。境内には本堂や枯木堂(禅堂)などがある。松尾芭蕉ゆかりの寺としても知られ、『奥の細道』道中で宿泊したことにちなんだ芭蕉塚と筆塚が立つ。
創建は大同元年(806)といわれるが、国宝に指定された現在の本堂(薬師堂)は、正嘉2年(1258)に再建されたもの。深々とせり出した軒などに、鎌倉時代の密教建築の特徴が表れている。同じく国宝である高さ22mの三重塔は、本堂横の杉木立の中に立つ。平安後期に作られた本尊薬師如来坐像、降三世明王[ごうざんぜみょうおう]立像、深沙大将[じんじゃだいしょう]立像、不動明王立像の4体は国の重要文化財に指定されており、その迫力に圧倒される。
鎌倉~南北朝時代の武将、新田義貞を祭る神社。義貞が戦死したとされる燈明寺畷[とうみょうじなわて]の新田塚に建てられていたが、明治34年(1901)、現在の足羽山中腹に移された。藤寿殿には、義貞ゆかりの遺品や美術品を収蔵。義貞が使用したと伝わる鉄製銀象眼胄[てつせいぎんぞうがんかぶと]や結城宗広公御書簡など、国の重要文化財も数多い。
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