明通寺
創建は大同元年(806)といわれるが、国宝に指定された現在の本堂(薬師堂)は、正嘉2年(1258)に再建されたもの。深々とせり出した軒などに、鎌倉時代の密教建築の特徴が表れている。同じく国宝である高さ22mの三重塔は、本堂横の杉木立の中に立つ。平安後期に作られた本尊薬師如来坐像、降三世明王[ごうざんぜみょうおう]立像、深沙大将[じんじゃだいしょう]立像、不動明王立像の4体は国の重要文化財に指定されており、その迫力に圧倒される。
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創建は大同元年(806)といわれるが、国宝に指定された現在の本堂(薬師堂)は、正嘉2年(1258)に再建されたもの。深々とせり出した軒などに、鎌倉時代の密教建築の特徴が表れている。同じく国宝である高さ22mの三重塔は、本堂横の杉木立の中に立つ。平安後期に作られた本尊薬師如来坐像、降三世明王[ごうざんぜみょうおう]立像、深沙大将[じんじゃだいしょう]立像、不動明王立像の4体は国の重要文化財に指定されており、その迫力に圧倒される。
若狭湾が一望できる青葉山中腹に立つ古刹。大同年間(806年~)平城天皇の勅願によって泰澄[たいちょう]が創建したと伝えられる。入母屋造檜皮葺きの本堂(重要文化財)に安置された本尊の馬頭観音坐像(重要文化財)、湛慶の作である山門の金剛力士立像(重要文化財)は、ともに鎌倉時代のもの。御本尊は秘仏で平成30年(2018)1月から3月に東京国立博物館で開催される「仁和寺展」に公開する。
古く奈良時代から北陸道の祈願霊場として崇められたお社で、朝廷はもとより、朝倉氏を始め数々の武将からも崇敬された。特に織田信長公は先祖が宮仕えの家柄であったことから、氏神の社として尊崇篤く、武運を祈ると共に神領の寄進や社殿の造営などに尽力された。現在は出世開運・厄除開運の神として、県内はもとより、全国各地から篤い崇敬を寄せられている。宝物である第四十九代光仁天皇ご奉納の梵鐘は、国宝の指定を受けている。
孝謙天皇の勅願によって眼病が治癒。木造薬師如来立像が本尊、ほかに木造月光菩薩立像、木造日光十一面観音菩薩立像などがある。いずれも国の重要文化財に指定されているが、なかでも日光十一面観音菩薩立像は日本密教定着以前のものとされ、歴史資料としても価値が高い。多田寺は出世薬師とも言われ、お金に恵まれる梵鐘があり、豊臣秀吉も鐘をついて長浜に築城が叶ったという。
応安元年(1368)に通幻[つうげん]禅師が創建した曹洞宗の寺。府中本多家の菩提寺でもあり、初代富正をはじめとする代々の当主の五輪塔の墓がある。また、開山堂には江戸時代作の通幻禅師の木像、扉に葵の御紋入りの越前東照宮には、徳川家康、秀忠、結城秀康の三木像を安置する。
応安元年(1368)創建の浄土宗の古刹。御影堂(重要文化財)と阿弥陀堂(重要文化財)を渡廊下(重要文化財)で結ぶ本山格の迦藍配置は学術的に貴重なもの。絹本著色観経変相曼荼羅図(重要文化財)や西福寺一切経勧進経(重要文化財)など数多くの文化財が残されている。1400坪の書院庭園(名勝)は江戸中期の作で、極楽浄土を表しているといわれ、四季を通じて閑寂の趣が深い。その名勝庭園散策もここにしかない楽しみ方。
北陸三十三霊場の第7番札所。本堂には、弘法大師一夜の作と伝わる、花崗岩に刻まれた聖観世音菩薩が安置されている。右手がないため片手観音とも呼ばれる秘仏で、33年ごとに開帳される。次回の開帳日は2026年10月中旬ごろの予定だ。手足の病気やケガにご利益があるとされる。
創建は天智天皇の時代と伝わる臨済宗の古刹。江戸初期に作庭された県指定名勝の庭園では、梅雨時にモリアオガエルの産卵が見られる。大日堂と呼ばれる堂内には、木造大日如来坐像と木造不動明王立像が安置されており、いずれも平安時代に作成されたという国指定重要文化財。
お水送りの寺として有名だ。本堂(重要文化財)、仁王門(重要文化財)が立つ。木造男神・女神坐像(重要文化財、非公開)もある。春には桜、秋には紅葉が美しい。お水送り当日(3月2日)は入門自由だが、内陣には入れない。
本堂は、鎌倉初期に造られた若狭最古の建築物で、寄棟造り檜皮葺。本堂(重要文化財)、木造二十四面千手観音菩薩立像(重要文化財)がある。北陸観音第3番札所、若狭観音第18番札所。
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