常高寺
晩年の常高院(お初)が両親と夫・京極高次を弔うため発願して建立。4m以上もある常高院の墓石は350年以上たった現在も残っている。常高院に仕えていた7人の侍女の墓もある。
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晩年の常高院(お初)が両親と夫・京極高次を弔うため発願して建立。4m以上もある常高院の墓石は350年以上たった現在も残っている。常高院に仕えていた7人の侍女の墓もある。
寂円禅師が弘長元年(1261)に開山した古刹で、現在境内に立つ本堂は昭和4年(1929)に再建されたもの。永平寺に次いで日本曹洞第二道場として知られ、禅修行の場として門戸を開放、一般の人も禅修行の体験ができる。また、山門の前には、江戸中期の民家の面影を伝える国の重要文化財の旧橋本家がある。
大宝2年(702)創建の古社。伊奢沙別命[いざさわけのみこと]をはじめ7柱の神を祭り、「けひさん」の名で親しまれる。高さ10.9mの大鳥居(重要文化財)は、奈良の春日大社、広島の嚴島神社と並ぶ日本三大木造鳥居の一つ。境内には神宮に縁のある松尾芭蕉像や句碑も立つ。
親鸞の孫の如覚[にょかく]上人が弘安2年(1279)に開基した寺で、浄土真宗越前四箇寺本山の一つに数えられる。みどころは左甚五郎作と伝えられる駆け出しの竜が彫られた寺内最古の山門。あまりの精巧さに、鳥が恐れて近寄らないことから鳥不棲門[とりすまずのもん]とよばれている。
聖武天皇の勅願によって諸国に建立された国分寺の一つで、慶長15年(1610)建立の釈迦堂のみ現存し、本堂などは遺構が国指定の史跡となっている。木造薬師如来坐像(重要文化財)が安置される。
「おそんじゃさん」とよばれて親しまれている越前国の総社。古代の国司の仕事に、その国にある主な神社を毎年巡拝するというのがあったが、総社は神々を一ヵ所に集めて祭り、そこを参拝することで国内巡拝に代えようとしたもの。国府のあるところには必ず置かれていた神社で、境内には越前国府の石碑が立つ。古来から越前の代表的な神社として信仰を集め、その賑わいの様子は鎌倉時代の『一遍上人絵伝』に描かれている。
歴史上にも登場するお宮で、現在は“難関突破”と“恋の宮”として若者にも人気。桜の名所でもあり、毎年4月には男女が桜の造花を交換し合う恋のお祭り「花換祭」が開かれる。
霊亀2年(716)行基が女帝(上の元正天皇の所へ)元正天皇の勅願によって諸堂を建立したのが始まりと伝わる。本尊の十一面観音菩薩立像(重要文化財)は元正天皇の御等身として行基が彫ったとされており、彩色が残り女性的な表情をもつ美しい仏像。天皇の等身大に造られているという。現存する本堂は、文安4年(1447)に奥州十三湊(青森)を本拠地とする安倍(安藤)康季により再建されたもので、重要文化財に指定されている。
本尊は国指定重要文化財 木造阿弥陀如来坐像を安置している。国の名勝に指定されている庭園は、春はツツジ、秋は「日本の紅葉百選」の一つに選ばれたモミジが美しい。
全国で唯一といわれる紙の神様を祭る紙祖神岡太・大瀧神社は紙業界の総鎮守。和紙に関わる人々のみならず、印刷・出版関係者など紙に関わる多くの人々の信仰を集めている。権現山山頂の奥の院と麓の里宮から形成されている。
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