
本願寺吉崎別院(西別院)
御坊跡のある吉崎山の麓には本願寺の西別院と東別院が立つ。西別院は、御山への登り道の西側に伽藍を構える。念力門は、豊臣秀吉が京都西本願寺に寄進したといわれ、昭和24年(1949)信徒たちの手で、この地に移されたもの。寛政9年(1797)再建の総ケヤキ造りの本堂、蓮如上人の形見と伝えられる自画像を安置する中宗堂や境内に立つ資料館にも立ち寄りたい。
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御坊跡のある吉崎山の麓には本願寺の西別院と東別院が立つ。西別院は、御山への登り道の西側に伽藍を構える。念力門は、豊臣秀吉が京都西本願寺に寄進したといわれ、昭和24年(1949)信徒たちの手で、この地に移されたもの。寛政9年(1797)再建の総ケヤキ造りの本堂、蓮如上人の形見と伝えられる自画像を安置する中宗堂や境内に立つ資料館にも立ち寄りたい。
江戸時代中期の寛延2年(1749)に再建された永平寺で2番目に古い建造物。修行僧にとっては修行のために入山する時と、修行後に下山する時だけ通れる特別な門で、国指定重要文化財。入母屋造、銅板葺きの二重門の下層階には、仏法の守護神である多聞天、持国天、広目天、増長天の四天王の像が、上層階には五百羅漢が祀られている。
親鸞の孫の如覚[にょかく]上人が弘安2年(1279)に開基した寺で、浄土真宗越前四箇寺本山の一つに数えられる。みどころは左甚五郎作と伝えられる駆け出しの竜が彫られた寺内最古の山門。あまりの精巧さに、鳥が恐れて近寄らないことから鳥不棲門[とりすまずのもん]とよばれている。
晩年の常高院(お初)が両親と夫・京極高次を弔うため発願して建立。4m以上もある常高院の墓石は350年以上たった現在も残っている。常高院に仕えていた7人の侍女の墓もある。
小高い丘に立つ古社。境内には、山王権現と記した額や猿曳きの黒駒の絵馬などが掲げられた絵馬堂、拝殿がある。
昭和62年(1987)の創建。大仏殿に安置された越前大仏は身の丈17mと、奈良東大寺の大仏を上回る大きさだ。中国洛陽市の郊外にある龍門石窟の坐像をモデルに造られたもので、両側には羅漢像、菩薩像が鎮座する。また、北京市にある中国の国宝・九龍壁を模した九龍殿の装飾壁も見ておきたい。
長享2年(1488)に建立された、天台真盛宗別格本山。十六羅漢や滝上りする鯉など、彫刻が施された総ケヤキ造りの山門は一見の価値がある。広々とした境内には笏谷石[しゃくだにいし]に彫られた30体の石仏、高さ3mもある不動明王と地蔵菩薩があり、寺宝として鎌倉時代に書かれたという『往生要集』を所蔵している。
総受処(受付け)で参禅研修が行われる吉祥閣に続く、参拝者の控え室などを備える建物。必見は2階にある156畳敷の絵天井の大広間。昭和初期の著名な日本画家144名が描いたという、折上格天井にはめ込まれた花鳥彩色画230枚が圧巻。
眼下に九頭竜川を望む曹洞宗の寺。永正年間(1504~1521)に創立、現在の建物は江戸末期に廻船問屋や土地の豪商が寄進したものだ。坂井市文化財指定の観音像や中国風の十六羅漢が並ぶ山門など静かながらみどころがいっぱい。
創建は平安時代。平城天皇の夢のお告げで、京都黒谷から大野の黒谷に遷座。藩主をはじめ、庶民の厚い信仰を受けてきた。本尊の十一面観世音菩薩は延慎正人の作といわれ、黒谷観音として親しまれている。見逃せないのは、2代藩主・土井利治が奉納した3枚の絵馬。18世紀初めに描かれた古い絵馬で、いきいきとした白馬が印象的。観音堂裏には子宝に恵まれるという「かわそさん」、なで仏のおびんづる様などがあり、境内で88カ所巡りができる。令和3年(2021)秘仏開帳。
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