
萬徳寺
本尊は国指定重要文化財 木造阿弥陀如来坐像を安置している。国の名勝に指定されている庭園は、春は寺の花・ツツジ、秋は「日本の紅葉百選」の一つに選ばれたモミジが美しい。
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本尊は国指定重要文化財 木造阿弥陀如来坐像を安置している。国の名勝に指定されている庭園は、春は寺の花・ツツジ、秋は「日本の紅葉百選」の一つに選ばれたモミジが美しい。
上社の若狭彦神社、下社の若狭姫神社を合わせて、若狭一の宮とも呼ばれている若狭最古の神社。もともと同じ場所に鎮座していたが、後に上社と下社に分けられた。霊亀元年(715)創建の若狭彦神社には、2本の杉の木が根元部分で一つになっている巨大な夫婦杉がある。養老5年(721)創建の若狭姫神社にも千年杉と呼ばれる巨樹がある。ともに古来若狭の国の開拓祖神、総鎮守とされる。
お市の方の菩提寺。お市の方の院号・自性院を賜り、慶長10年(1605)に現在の地に移された。薬師堂では毎月八日に薬師護摩祈祷法要が行われる。尚、常日、淡路島四十九薬師霊場お砂踏み、薬師功徳回廊行の功徳を受けることが出来る。
吉崎西別院と隣り合わせにある、真宗大谷派の別院。境内には山門、本堂、宝物館、鐘楼堂などがあり、本堂は延享4年(1747)の再建。蓮如上人が船上で書いたという六字名号[ろくじみょうごう]の掛け軸も所蔵している。
全国で唯一といわれる紙の神様を祭る紙祖神岡太・大瀧神社は紙業界の総鎮守。和紙に関わる人々のみならず、印刷・出版関係者など紙に関わる多くの人々の信仰を集めている。権現山山頂の奥の院と麓の里宮から形成されている。
霊亀2年(716)行基が女帝(上の元正天皇の所へ)元正天皇の勅願によって諸堂を建立したのが始まりと伝わる。本尊の十一面観音菩薩立像(重要文化財)は元正天皇の御等身として行基が彫ったとされており、彩色が残り女性的な表情をもつ美しい仏像。天皇の等身大に造られているという。現存する本堂は、文安4年(1447)に奥州十三湊(青森)を本拠地とする安倍(安藤)康季により再建されたもので、重要文化財に指定されている。
広さ33万平方mにも及ぶ寺域は樹齢700年に及ぶ老杉に囲まれ、壮厳な雰囲気が漂う。境内には山門、仏殿、法堂[はっとう]、僧堂、庫院[くいん]、浴室、東司[とうす]の七堂伽藍をはじめ大小70余りの堂宇が配され、これらはすべて廻廊で結ばれている。参拝は左側通行を守り、順路に従って静かに歩こう。建物の撮影は構わないが、修行僧の生活空間である僧堂などに入ったり、カメラを修行僧に向けることは禁止。予約不要の日帰りや1泊2日の参禅体験(坐禅体験)もできる。
白山を開いた泰澄大師が、養老元年(717)に創建した古社。48社36堂の6000坊の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園[きゅうげんじょういんていえん]が残る。菩提林[ぼだいはやし]とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、「日本の道百選」にも選ばれている。日本遺産。
古く奈良時代から北陸道の祈願霊場として崇められたお社で、朝廷はもとより、朝倉氏を始め数々の武将からも崇敬された。特に織田信長公は先祖が宮仕えの家柄であったことから、氏神の社として尊崇篤く、武運を祈ると共に神領の寄進や社殿の造営などに尽力された。現在は出世開運・厄除開運の神として、県内はもとより、全国各地から篤い崇敬を寄せられている。宝物である第四十九代光仁天皇ご奉納の梵鐘は、国宝の指定を受けている。
孝謙天皇の勅願によって眼病が治癒。木造薬師如来立像が本尊、ほかに木造月光菩薩立像、木造日光十一面観音菩薩立像などがある。いずれも国の重要文化財に指定されているが、なかでも日光十一面観音菩薩立像は日本密教定着以前のものとされ、歴史資料としても価値が高い。多田寺は出世薬師とも言われ、お金に恵まれる梵鐘があり、豊臣秀吉も鐘をついて長浜に築城が叶ったという。
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