ハートロック(ティーヌ浜)
古宇利島の北側の海岸にある岩礁。よく見ると岩の形がハート型に見えるよ。
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古宇利島の北側の海岸にある岩礁。よく見ると岩の形がハート型に見えるよ。
塩川集落から塩川ビーチまで流れる、全長300mほどのせせらぎ。地元では昔からスガーと呼ばれ、親しまれてきた。淡水の川にもかかわらず、海水とほぼ同じ成分が含まれるという、世界的に見ても珍しい水質を持つ川として知られている。国道449号沿いにあるのでドライブ途中に立ち寄ってみたい。国の天然記念物に指定されている。
防風林として発達したフクギが、島の北西端、備瀬崎に面した備瀬集落を囲む。諸説あるが南蛮貿易時代にアジアから移植されたとも云われるフクギは丈夫で成長がゆっくりで、厚い葉が特徴。沖縄本島では最大規模を誇る並木だけあって、集落全体のありとあらゆる道にフクギ並木が延々と立ち並び、まるで迷路のようだ。海洋博公園がすぐ近くだということを忘れてしまうような静けさが集落全体を包みこんでいる。
伊平屋島の南西海上500m沖に位置する、周囲4.82kmの島。1時間もあれば歩いて回れる。野甫島と伊平屋島の間に、全長1244mの野甫大橋が架けられたのは昭和54年(1979)。車もよいが、自転車や徒歩でのんびり渡るのも格別。橋の途中からは伊是名島・伊江島・沖縄本島が見渡せ、反対側にはシマサキ海岸景勝地とよばれる絶好の展望が広がる。橋の付け根の両岸には白砂のビーチも。
沖縄本島北端に位置し、隆起サンゴの断崖がそそり立つ景勝地。岬の先端に立つと、左手に伊是名島や伊平屋島、北の海上には与論島も見渡せる。与論島を含む奄美諸島は昭和28年(1953)に本土に復帰したが、沖縄の本土復帰が実現するのは昭和47年(1972)。先端付近には米軍統治時代に、与論島とこの岬でかがり火を焚き、本土復帰を訴えた海上集会を記念して立てられた祖国復帰闘争の碑がある。岬の背後にそびえる岩山は、辺戸岳。辺戸御嶽ともいわれ、琉球の祖先アマミキヨが沖縄の島々を創ったときに最初にこしらえたという伝説が残る霊地。
屋慶島海峡の向かい、薮地大橋で結ばれた無人島が薮地島。周囲4kmの小さな島の一本道の突き当たりにジャネー洞がある。祖先発祥の地として信仰を集める神聖な場所で、6000~7000年前の沖縄最古の土器片などが出土している。
平安座島との間に浜比嘉大橋が架かり、本島から陸続きで渡れる。沖縄の原風景を思わせる赤瓦屋根の民家と石垣が続く浜と比嘉の2つの集落がある。琉球祖神と伝わる女神アマミキヨ、男神シネリキヨゆかりの地とされ、アマミチューの墓や居をかまえたとされる鍾乳洞のシルミチューが残る。
平成28年(2016)3月1日に国の天然記念物に指定された。幹周り4.5m・高さ約8m・枝張(東西28m・南北24m)。古くから名松として知られ、盆栽仕立てのような美観をしており琉歌にも詠われている。現在の松は2代目にあたり、兄松と呼ばれる先代は美しさ故に盗伐されてしまった。現在の2代目が植えられたのは約280年余前という。平成4年(1992)には周辺整備を行い念頭平松公園として公開されている。
沖縄本島北部に位置する島。本部半島の東側、羽地内海[はねじないかい]に浮かぶ周囲約16km、最高標高56mの島で、本島とは西側がワルミ大橋、東側が屋我地大橋~奥武島~羽地奥武橋、古宇利大橋で古宇利島と繋がっている。島全体にサトウキビ畑が広がるのんびりとした光景を眺められる。オランダ墓や屋我地ビーチの名所に加え、饒平名[よへな]地区の干潟には高さ10mものオヒルギが自生してマングローブ林が広がり、シギやチドリの渡り鳥が飛来する。島全島が国指定屋我地鳥獣保護区。ビーチやキャンプ場もあり、エコツアーなども楽しめる。
慶佐次川河口の慶佐次橋周辺から上流約1kmにわたって、本島最大規模のヒルギ林が広がっている。メヒルギ、オヒルギ、ヤエヤマヒルギの3種類からなり、なかでもヤエヤマヒルギはここが分布の北限地となる。タコの足のような根を張るマングローブが延々と連なるさまはなかなかユニーク。
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