
大隈重信記念館・大隈重信旧宅
大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
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大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
佐賀市街に点在する佐賀県遺産である7つの歴史的建造物から成る佐賀市歴史民俗館の1つ。江戸時代中期に建てられた牛島氏の旧宅を移築・復元。佐賀城下に残る町屋建築では最古のもの。明治期に制作された銅版画に、煙草仲買商・海陸運漕店を営む高柳伊予助[いよすけ]の店として外観が描かれている。佐賀市重要文化財。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭にある竪穴住居。吉野ケ里遺跡で復元されているのは、2本の柱のみで支える弥生時代後期のもの。住居内は、長方形の形。床面を1~1.5mほど掘り下げて土を周囲に盛り、水の浸入を防ぐなど、環境に対応する工夫がなされている。室内の両側には、寝場所だったとされる、ベット状遺構とよばれる段も残っている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭にある櫓。弥生時代の人々の知恵と力を結集して造られた床高6.5m、高さ12mの巨大櫓は、穴を開けた大木を組み立てて造られたもの。周囲には小さな集落や米作りに適した土地があり、敵対する「クニ」が進入してくるのを監視する為に使用されたと考えられている。
教育者であり、『次郎物語』の作者でもある下村湖人が、明治17年(1884)に生まれてから15歳まで過ごした生家。館内には『次郎物語』の原稿をはじめ、写真や書簡など湖人ゆかりの品々が展示されている。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン南内郭横にある展示室。出土品をぜひとも自分の目で見てみたいという人はここへ。ここでは、稲穂を摘む石包丁、食料貯蔵用の素焼きの土器などの日常使われていた道具から、位の高い人が葬られた墳丘墓から出土した管玉[くだたま]などのアクセサリー類まで展示品は100点以上。実際に出土したものや復元された模型などが展示されている。
唐津藩の初代藩主、寺沢志摩守広高[てらざわしまのかみひろたか]が7年の年月を費やして慶長13年(1608)に完成させた。現在の天守閣は昭和41年(1966)に完成したもの。内部は郷土博物館で、唐津焼や刀剣類などを展示。所要30分。
唐津藩の御用窯跡地。享保19年(1734)に坊主町から当時唐人町と呼ばれたこの地に移された。中里一族により大正年間まで使われていた。窯の壁面や天井部などほぼ全体が残っている。この窯の製品は献上唐津とよばれ、抹茶碗、水指、花生などがつくられていた。
東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、愛弟子の田中実に設計を委ねた、「辰野式」赤レンガのモダン建築。
有田焼で知られ、国選定の有田内山重要伝統的建造物群保存地区となっている有田内山にある洋館。平成30年(2018)12月、国の重要文化財に指定。明治初期に貿易商として活躍した田代家が、外国商人の宿泊・接待施設として明治9年(1876)に建てたもの。木造2階建、桟瓦葺、外壁は漆喰塗で和と洋が混在した擬洋風の建築になっている。館内では、パネルや資料展示で内山の町並みや幕末・明治初期の有田の様相などを紹介している。
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