下村湖人生家
教育者であり、『次郎物語』の作者でもある下村湖人が、明治17年(1884)に生まれてから15歳まで過ごした生家。館内には『次郎物語』の原稿をはじめ、写真や書簡など湖人ゆかりの品々が展示されている。
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教育者であり、『次郎物語』の作者でもある下村湖人が、明治17年(1884)に生まれてから15歳まで過ごした生家。館内には『次郎物語』の原稿をはじめ、写真や書簡など湖人ゆかりの品々が展示されている。
名君とうたわれた十代藩主・鍋島直正[なべしまなおまさ]公、十一代藩主・鍋島直大[なべしまなおひろ]公を祀る神社。直正公は日本初の洋式反射炉を設け近代大砲を造ったり、西洋医術の普及に努めるなど、いち早く西洋文明導入に取り組んだ人物。境内にはカノン砲や蒸気機関車の復元などが見られる。
幕末佐賀藩の洋式海軍の拠点であり、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。海軍の訓練や、洋式船の修理、日本初の実用蒸気船「凌風丸」の建造などを行った。発掘されたドライドックは、現存する日本最古のもの。遺構は保存のため地下に埋め戻されており、直接みることはできないが、隣接する佐野常民記念館で貸し出しているVR機器を使えば、当時をイメージしたCG画像を見ながら、現地散策を楽しむことができる。
およそ1000年に渡り山岳仏教の中心だった霊仙寺。建久2年(1191)に栄西禅師がこの地に茶の栽培を伝えた歴史に由来し、「日本最初之茶樹栽培地」の記念碑がある。現在は無住の寺舎「乙護法堂」が残っており、眼下には茶畑や佐賀平野が広がっている。森林浴歩道も整備されており散策に最適だ。茶畑や当時の修行の場所であった坊跡を巡り、歴史に思いを馳せよう。
鍋島三十六万石の拠点だった佐賀城は、周囲に幅70mもの堀を巡らし、5層の天守閣を誇る名城とされた城。平地に築かれた典型的な平城で、明治7年(1874)の佐賀の乱(佐賀戦争)で戦禍にあい、建物の一部を焼失し、残った建物の多くは随時解体されていった。現在は、城跡の一部が佐賀県史跡に指定され、堀と本丸跡周辺は佐賀城公園としても整備されている。本丸跡には、天保9年(1838)に完成した国指定重要文化財「佐賀城鯱の門及び続櫓[つづきやぐら]」が残り、また、佐賀城本丸御殿の一部を再現した佐賀城本丸歴史館がある。
中国の聖人、儒学の祖である孔子を祀った建物。創建は宝永5年(1708)と日本に現存する孔子廟としては古く、国の重要文化財に指定されている。孔子に供物を捧げる釈菜[せきさい]の日には廟内を拝観可(春は4月18日、秋は10月第4日曜)。釈菜の催しは、佐賀県の重要無形民俗文化財に指定されている。
石炭の積出港として栄えた明治以降の隆盛が偲ばれる近代建築物などが点在する唐津の街。なかでも旧高取邸は、杵島炭鉱(佐賀県)などの炭鉱主として知られる高取伊好[たかとりこれよし]の旧宅で、約2300坪の広大な敷地に、居住スペースとしての居室棟と迎賓館的な役割を果たした大広間棟が立っている。明治38年(1905)に建設された大広間棟には、能舞台を設けるなど独特の造りとなっていて、邸内の各所には中国の故事や花鳥風月に題材をとった杉戸絵や、動植物を型抜きした欄間、七宝焼の引手金具など、意匠(デザイン)にも見どころが満載。
吉野ケ里歴史公園の環壕集落ゾーン内にある。二重の城柵(土塁と柵)と壕に囲まれた吉野ケ里で最も重要かつ神聖な場所とされていた所。当時の支配者層が祭祀儀礼や政治を行っていたと考えられている。
昭和5年(1930)築の農家住宅を移築・復元したもので、屋根は寄棟[よせむね]造の茅葺きと瓦葺き。すべてほぞ栓で組み立てられた柱や梁は見ごたえがある。現在は地元と都会の人たちの交流や会議に利用。宿泊もできる。
大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
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