
木蝋資料館上芳我邸
製蝋業で内子随一の豪商となった、本芳我家の分家の屋敷。鬼瓦やなまこ壁の主屋は明治中期の建造で重要文化財。隣接する収蔵庫には、内子および周辺地域の製蝋用具(重要有形民俗文化財)も収蔵(非公開)。展示棟では、木蝋の製造工程をビデオや用具類の模型を使って紹介している。庭側土蔵には、町並の情報展示や喫茶コーナーも併設。
- 「内子駅」から徒歩18分
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製蝋業で内子随一の豪商となった、本芳我家の分家の屋敷。鬼瓦やなまこ壁の主屋は明治中期の建造で重要文化財。隣接する収蔵庫には、内子および周辺地域の製蝋用具(重要有形民俗文化財)も収蔵(非公開)。展示棟では、木蝋の製造工程をビデオや用具類の模型を使って紹介している。庭側土蔵には、町並の情報展示や喫茶コーナーも併設。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。旧宇都宮壯十郎邸は、屋根は曲線を描き、棟瓦には分銅マーク。また玄関入口にある持送り(庇や出格子窓などを支える部分)など細工を凝らした和洋折衷の建物。建築には3年を要し、明治34年(1901)に完成したと伝えられてる。
道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓[たいこやぐら]を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、大正5年(1916)に建てられた。老朽化のため取壊しの声もあったが、昭和60年(1985)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。令和6年(2024)から約4年間保存修理工事のため、楽屋のみ一般公開している。楽屋では内子座の舞台に立った方などが壁に残していったサインの展示のほか、内子座にまつわる資料を展示している。
蛮社の獄で投獄され、牢の火災で脱獄した高野長英は、嘉永2年(1849)、卯之町に潜んだ。中町の一本裏の路地を入ったところにある隠れ家がそれ。ここはシーボルトの塾で同窓だった蘭方医・二宮敬作宅の離れ。今は平屋だが、以前は2階建てで、高野長英が隠れていた2階部分のみを地上に保存したもの。
別子銅山の近代化を推し進めた住友家初代総理事・広瀬宰平氏の足跡をたどる展示館と、広瀬氏の実際の住まいだった旧広瀬邸がある。明治時代に建てられた旧広瀬邸は、至るところに西洋文化が取り入れられている貴重なもので、国指定重要文化財に、庭園は国指定名勝となっている。
内子の製蝋業の礎を築いた、豪商本芳我家の屋敷。八日市・護国の町並みにあるなまこ壁を施した重厚な建物は、明治22年(1889)に建てられたもの。内部は非公開だが、庭園の一部は公開している。園内の散策は不可。平成2年(1990)に主屋、土蔵、炊事場などが国の重要文化財に指定された。
町の東端にある肱川の景勝地・臥龍淵に立つ貿易商・河内寅次郎の別荘で、大洲一番のみどころ。明治時代に10余年の歳月をかけて建てられた数寄屋造の名建築。肱川、冨士山を借景にした庭園に立つ母屋の臥龍院、茶室の知止庵、不老庵の3棟がみものだ。臥龍院、不老庵、文庫は国指定重要文化財。4~5月の日曜、祝日には、臥龍山荘下から出発する屋形船での遊覧、臥龍の渡し(料金:片道300円、問合先:大洲市観光協会)も運航される。
リアス海岸の続く海に面し、四国百名山に数えられる1000m級の山々を背に、海抜80mの緑深い城山に白亜の天守がそびえる姿から鶴島城の別称を持つ優美な城。慶長6年(1601)に藤堂高虎が築城し、慶長20年(1615)以降伊達家9代の居城となった。10haの城山は国史跡、伊達家2代藩主宗利が建てた天守は現存12天守のひとつで国重要文化財に指定されている。450種の草木が繁茂する豊かな照葉の森も一見の価値あり。
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