
末光家住宅
卯之町の町並みのなかほどにある末光家住宅は、明和7年(1770)に建てられた元商家。普段は外観のみの見学だが、第1日曜の13時30分~15時には建物内が一般公開される。重厚な造り、伝統的な表構えなど昔の建築形式がみどころ。
- 「卯之町駅」から徒歩7分
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卯之町の町並みのなかほどにある末光家住宅は、明和7年(1770)に建てられた元商家。普段は外観のみの見学だが、第1日曜の13時30分~15時には建物内が一般公開される。重厚な造り、伝統的な表構えなど昔の建築形式がみどころ。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。旧白石和太郎洋館は19世紀(明治時代)に建てられた左右対称の擬洋風建築。内部に入ると玄関には世界地図、2階の天井飾りには果物カゴの形が施されている。ガラスは建築当時の物で、よく見るとヒズミがわかる。緑色の塗りも当時のままで、ペチカや柱頭飾りなど建物全体に美事な左官・大工技術を見ることができる。
宇和島の中心部の緑深い城山の頂にそびえる3重3層の天守は当時の姿を残しており、均整のとれた美しさから別名「鶴島城」とよばれている。慶長6年(1601)に藤堂高虎によって創建、寛文年間(1661~1673)に再建された。江戸時代の様式をとどめる国の重要文化財で現存12天守の一つ。所要60分。
蛮社の獄で投獄され、牢の火災で脱獄した高野長英は、嘉永2年(1849)、卯之町に潜んだ。中町の一本裏の路地を入ったところにある隠れ家がそれ。ここはシーボルトの塾で同窓だった蘭方医・二宮敬作宅の離れ。今は平屋だが、以前は2階建てで、高野長英が隠れていた2階部分のみを地上に保存したもの。
宇和島藩の在郷町として栄えた当時の町並みが残り、白壁の商家などが300mほど続く。白壁や卯建、出格子、半蔀[はじとみ]のある家などが幕末から明治の面影を伝える。シーボルトの高弟・二宮敬作の住居跡や高野長英の隠家跡などもある。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。旧東洋紡績赤レンガ倉庫は、明治20年(1887)に四国で最初に設立された紡績会社の名残を伝えている。明治30年代に建築された旧白石和太郎洋館は凝った意匠が見られるハイカラなデザイン。すぐ近くには明治34年(1901)に建てられた和洋折衷の造りが興味深い旧宇都宮壮十郎邸がある。レンガ通りや、国の有形文化財に登録されている愛媛蚕種も見どころ。すべて外観のみの見学。
鎌倉時代末期に宇都宮氏により築城されたといわれ、その後藤堂・脇坂・加藤氏ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備された。平成16年(2004)には、史料を基に天守を当時の姿で正確に復元。当時としては戦後復元された木造天守としての4層4階建ては日本初であった。残る4つの櫓は国の重要文化財に指定。
肱川沿いに広がる水郷・大洲は、藩政時代からの町割りが残っている風光明媚な城下町。肱川随一の景勝地に立つ臥龍山荘をはじめ、白壁土蔵が立ち並ぶおはなはん通りや明治の家並みなど、城下町ならではのしっとりとした町並みが残る。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。東洋紡績赤レンガ倉庫跡(八興産業)は、明治20年(1887)に愛媛県で最初に設立された紡績会社の名残を伝えている。明治30年(1897)に建築された旧白石和太郎洋館は凝った意匠が見られるハイカラなデザイン。すぐ近くには明治34年(1901)に建てられた和洋折衷の造りが興味深い二宮孝順邸がある。レンガ通りや、国の有形文化財に登録されている愛媛蚕種も見どころ。すべて外観のみの見学。
久万川の南岸にある、約1万2000年前の縄文早期の岩陰遺跡で、土器や石器、人骨などが発掘された。出土品は、遺跡そばにある上黒岩岩陰遺跡考古館に展示されている。225点の収蔵品の中には、線刻女神像や細隆起線文土器などがある。
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