
内子座
道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓[たいこやぐら]を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、大正5年(1916)に建てられた。老朽化のため取壊しの声もあったが、昭和60年(1985)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。
- 「内子駅」から徒歩7分
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道後温泉本館と並び愛媛県を代表する木造建築。正面に太鼓櫓[たいこやぐら]を据えた入母屋造の木造瓦葺2階建てで、大正5年(1916)に建てられた。老朽化のため取壊しの声もあったが、昭和60年(1985)に建築当時の芝居小屋の姿に戻った。
国の重要文化財に指定されている大洲城三の丸南隅櫓と、国登録有形文化財の旧加藤家住宅主屋のある歴史公園。旧加藤家住宅は大正14年(1925)に建築されたもので、大名屋敷の名残である格調の高さが香る一方、西洋風のモダンさも兼ね備えた建物。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。旧白石和太郎洋館は19世紀(明治時代)に建てられた左右対称の擬洋風建築。内部に入ると玄関には世界地図、2階の天井飾りには果物カゴの形が施されている。ガラスは建築当時の物で、よく見るとヒズミがわかる。緑色の塗りも当時のままで、ペチカや柱頭飾りなど建物全体に美事な左官・大工技術を見ることができる。
製蝋業で内子随一の豪商となった、本芳我家の分家の屋敷。鬼瓦やなまこ壁の主屋は明治中期の建造で重要文化財。隣接する収蔵庫には、内子および周辺地域の製蝋用具(重要有形民俗文化財)も収蔵(非公開)。展示棟では、木蝋の製造工程をビデオや用具類の模型を使って紹介している。庭側土蔵には、町並の情報展示や喫茶コーナーも併設。
江戸後期から大正にかけて建てられた町家や豪商の屋敷が軒を連ね、木蝋生産で栄えた町の面影を残す。黄土と漆喰で塗り込められた重厚な大壁や平入り造りが特徴。隣家との間に残る小道や水路は、土壁や石積などと相まって独特の路地空間を生んでいる。懸魚[げぎょ]や虫籠窓[むしこまど]など、家々の意匠も興味深い。重要文化財の大村家住宅、本芳我家住宅、上芳我家住宅を含む600mの通り一帯が重要伝統的建造物群保存地区。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。東洋紡績赤レンガ倉庫跡(八興産業)は、明治20年(1887)に愛媛県で最初に設立された紡績会社の名残を伝えている。明治30年(1897)に建築された旧白石和太郎洋館は凝った意匠が見られるハイカラなデザイン。すぐ近くには明治34年(1901)に建てられた和洋折衷の造りが興味深い二宮孝順邸がある。レンガ通りや、国の有形文化財に登録されている愛媛蚕種も見どころ。すべて外観のみの見学。
内子の製蝋業の礎を築いた、豪商本芳我家の屋敷。八日市・護国の町並みにあるなまこ壁を施した重厚な建物は、明治22年(1889)に建てられたもの。内部は非公開だが、庭園の一部は公開している。園内の散策は不可。平成2年(1990)に主屋、土蔵、炊事場などが国の重要文化財に指定された。
明治から昭和初期に建てられた建物が点在する、八幡浜市保内町の「明治の町並み」。旧宇都宮壯十郎邸は、屋根は曲線を描き、棟瓦には分銅マーク。また玄関入口にある持送り(庇や出格子窓などを支える部分)など細工を凝らした和洋折衷の建物。建築には3年を要し、明治34年(1901)に完成したと伝えられてる。
肱川沿いに広がる水郷・大洲は、藩政時代からの町割りが残っている風光明媚な城下町。肱川随一の景勝地に立つ臥龍山荘をはじめ、白壁土蔵が立ち並ぶおはなはん通りや明治の家並みなど、城下町ならではのしっとりとした町並みが残る。
久万川の南岸にある、約1万2000年前の縄文早期の岩陰遺跡で、土器や石器、人骨などが発掘された。出土品は、遺跡そばにある上黒岩岩陰遺跡考古館に展示されている。225点の収蔵品の中には、線刻女神像や細隆起線文土器などがある。
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