
樹恩の鐘
十和田湖西湖畔、大川岱地区の、小高い丘の上に立つ町のシンボル。小坂町にゆかりのあるドイツ人技師の故郷で作られたもので、ブドウをモチーフにした優美なデザイン。高さ12mの屋根から大小11個の鐘が吊るされていて、8~18時まで1時間ごとにメロディが奏でられる。近くには大川岱園地や十和田湖西湖畔遊歩道もあり、音色を聞きながらピクニックや湖畔散策を楽しむことができる。
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十和田湖西湖畔、大川岱地区の、小高い丘の上に立つ町のシンボル。小坂町にゆかりのあるドイツ人技師の故郷で作られたもので、ブドウをモチーフにした優美なデザイン。高さ12mの屋根から大小11個の鐘が吊るされていて、8~18時まで1時間ごとにメロディが奏でられる。近くには大川岱園地や十和田湖西湖畔遊歩道もあり、音色を聞きながらピクニックや湖畔散策を楽しむことができる。
田沢湖畔潟尻にある。美しさを永遠に保とうと、百日百夜の願いかけ、満願の夜に「北に湧く泉の水を飲め」というお告げどおりに泉の水を飲みつづけ、龍になってしまった辰子。ブロンズ像だが金粉の漆塗りで、昭和43年(1968)に完成。遊覧船からも見られる。
河原田家は文治5年(1189)頼朝が陸奥を征した時、恩賞として会津の伊南郷をあたえられ、戦国時代に芦名氏の譜代として、さらに佐竹北家の家臣となって廃藩まで仕えた家柄。苔を敷いた内庭など、庭園は藩政時代そのままの姿を残す。主屋は明治中期の建築だが、この地方の書院造りの典型的な様式となっている。
内町武家屋敷通り北端にある、佐竹北家用人を務めた家柄の石黒家の屋敷(仙北市指定文化財)。現存する武家屋敷では最も古く、唯一座敷内に上ることができる。座敷・苔を水に見立てた庭園などに格式が見られる。薬医門には、文化6年(1809)の棟札がかかっている。現在も住みながら、維持・保存している。所要15分。
昭和49年(1974)に廃校になった小学校の木造校舎を一般公開。校庭や教室もほぼ当時のまま残され、ノスタルジックな雰囲気が漂う。校舎内には当時の教科書や文房具、仙北市の自然をテーマにした写真などが展示されている。ペットは校庭のみ可、館内は不可。
田町武家屋敷通りにある、今宮家家臣団の中の家柄・西宮家の屋敷。地主として最も繁栄した、明治後期から大正時代にかけて建てられた文庫蔵、北蔵5棟の蔵と母屋では古文書や貴重品を展示。レストラン北蔵もある。
内町・武家屋敷通りにある、秋田蘭画で有名な小田野直武[なおたけ]一族の分家にあたる屋敷。門から玄関まで約20mも続くドウダンツツジ、前庭一面に植えられた笹などが見事。
町の北端の古城山には応永30年(1423)に戸沢氏が居城、江戸時代初期には芦名氏が1万5000石の城主として居城した。しかし幕府の一国一城令により破却され、現在は、本丸跡に展望台が築かれ、町を一望することができる。細長い市街地、それを取り巻く山川のみごとに調和した姿が一望できる。入口から展望台まで徒歩20分。
駒ケ岳を仰ぎ見る総丈35mの大観音は、昭和62年(1987)に開運招運を願って造られ、鋳造の黄金観音像としては日本一の高さを誇る。観音像の台座内には、観音の生い立ちなどを説明する三十三観音堂や、曼陀羅宮などがある。四国霊場・八十八カ所巡拝お砂踏みもできる。
後三年合戦があった古戦場跡地。源義家が雁の列が乱れるのを見て、家衡の伏兵を見破ったという伝説が残る場所でもある。園内には雁橋や『後三年合戦絵詞』絵巻を再現した壁画レリーフなどがある。
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