
高野長英旧宅
幕末の蘭学者・高野長英が幼少の頃過ごしていた旧宅。国指定史跡。明治9年(1876)に改装され、2階があげられているが、主座敷(8畳)と次座敷(6畳)の2室は、当時のまま保存されている。外観は自由見学可。主座敷と次座敷の見学は、5名以上で1週間以上前に電話予約必要。予約先:奥州市武家住宅資料館0197-22-5642。
- 「水沢駅」から徒歩11分
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幕末の蘭学者・高野長英が幼少の頃過ごしていた旧宅。国指定史跡。明治9年(1876)に改装され、2階があげられているが、主座敷(8畳)と次座敷(6畳)の2室は、当時のまま保存されている。外観は自由見学可。主座敷と次座敷の見学は、5名以上で1週間以上前に電話予約必要。予約先:奥州市武家住宅資料館0197-22-5642。
藤原清衡の父である藤原経清の居館。清衡が平泉に移る前まで、青年期を過ごした。経清が築いた豊田館跡からは経巻を納める壺「白磁四耳壺」などが出土されており、「えさし郷土文化館」にて展示されている。
屋根の上に土を盛った竪穴住居など、縄文中期のムラを復元した史跡公園。園内の縄文博物館では、プロジェクションマッピングによる映像で縄文人の一年を体感できるほか、土器づくりやアクセサリーづくりなどの体験活動も受け付けている。
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
今ではほとんど見ることができない、情緒ある水車がここでは健在。付近の人々の脱穀や製粉に利用されている。
約250年前に東北地方は大飢饉に襲われた。心を痛めた大慈寺の義山和尚が、天明3年(1765)に犠牲者の冥福を祈り、読経しながら自然の花崗岩に羅漢像を彫ったといわれている。近くには、社前の木に左手で赤い布を結べたら縁が結ばれるという卯子酉[うねどり]様(神社)がある。
北上山地の標高1917mの最高峰早池峰。平安時代から中・近世にかけて隆盛を誇った修験場だった。そこへ至る参道で、長い間風雪に耐えてきた鳥居が、往時の姿を残している。
平成23年(2011)、世界遺産に登録された平泉。奥州藤原氏が浄土思想に基づいて築き上げた中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡の4カ所の国指定特別史跡と金鶏山の計5カ所から構成される文化遺産。奥州藤原氏は、11世紀末に初代藤原清衡が奥州(陸奥)を統治し、四代泰衡が源頼朝によって滅ぼされるまでの約100年間にわたり栄華を極めた一族。平泉には、合戦で妻子を失った清衡が建立した中尊寺をはじめ、浄土思想を現生で表現した複数の遺構や遺跡が一群としてよく残っており、その独自の浄土世界を表現した建築や庭園は世界的にも珍しい。黄金文化を代表する国宝中尊寺金色堂や国指定特別名勝の毛越寺庭園などは見逃せない。
世界とつながる北緯40度線上にある、地球儀型のシンボル塔。正面に近づくと地球儀が回転し、世界の北緯40度線上の都市とのつながりを表している。地球全体の繁栄と、平和への願いが込められている。
浄土ヶ浜に建てられた碑。「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかれぬ」と、大正6年(1917)に宮沢賢治が宮古の浜辺を訪れた際に詠んだ句が刻まれている。
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