
観自在王院跡
藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
- 「平泉駅」から徒歩11分
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藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
世界とつながる北緯40度線上にある、地球儀型のシンボル塔。正面に近づくと地球儀が回転し、世界の北緯40度線上の都市とのつながりを表している。地球全体の繁栄と、平和への願いが込められている。
国指定史跡・達谷窟毘沙門堂西側の大岩面壁に、11世紀に彫られたといわれる大磨崖仏[だいまがいぶつ]。高さ約16.5m、顔の長さ約3.6mもの貴重なもので、「北限の磨崖仏」として有名だ。明治29年(1895)、胸から下が崩落。風化が激しく、現在は顔のみが残る。
宮沢賢治が教鞭をとっていたころの花巻農学校の跡地にある公園。『風の又三郎』の一場面を題材にした黒御影石の彫刻が立ち、賢治が好きだったぎんどろの木が植えられている。車で来館の場合は花巻市文化会館駐車場(約400台収容)が利用できる。
石川啄木の歌碑が目印の公園。姫神山[ひめかみさん]、岩手山が望め、すぐそばの北上川に架かる鶴飼[つるかい]橋からの眺めがすばらしい。園内には売店や、休憩所もある。
賢治の詩「雨ニモマケズ」の後半部分が高村光太郎の筆により刻まれた碑。羅須地人協会の跡地にある。
鎌崎半島にそびえる高さ48.5mの鉄筋コンクリート製の魚藍[ぎょらん]観音像。胎内には貴重な鉈彫りの三十三観音像、七福神像を安置しており、最上階の魚藍展望台からは釜石湾の雄大なリアス式海岸を一望できる。スリランカ民主社会主義共和国から奉迎した仏舎利をまつる、パゴダ様式の白亜の仏舎利塔がある。平成28年(2016)には県内で4番目の恋人の聖地に選定された。
石川啄木が代用教員時代に間借りしていたのがここ齊藤家(盛岡市指定文化財)。石川啄木記念館の敷地内に移築されたもので、当初は床の間のある六畳間に啄木一家が暮らした。のちに、2階や奥の間も使用した。
中ノ橋のたもとに立つ、ルネッサンス風赤レンガの建物。明治44年(1911)に旧盛岡銀行本店として建てられた国の重要文化財で、設計は東京駅の設計者として知られる辰野金吾と、その教え子で盛岡市出身の葛西萬司。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品。平成24年(2012)8月、「赤レンガの銀行」として親しまれてきたこの建物は、銀行としての営業を終了し、約3年半の及ぶ保存修理工事を経て、公開施設として生まれ変わった。
日本初の高等農林学校として明治35年(1902)に開校した旧盛岡高等農林学校。岩手大学農学部附属植物園の緑に囲まれた旧本館校舎は、大正元年(1912)に建てられたもので、木造2階建ての欧風建築は国の重要文化財に指定されている。館内は資料館として公開され、農業に関する学術的な資料や文献などを見ることができ、また、6年間ここで学んだ宮沢賢治に関する資料も展示されている。
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