
紺屋町番屋
大正2年(1913)に盛岡市消防団第五分団の番屋として建てられた典型的大正年間の木造洋風建築。盛岡市の保存建築物に指定されている。
- 「上盛岡駅」から徒歩20分
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大正2年(1913)に盛岡市消防団第五分団の番屋として建てられた典型的大正年間の木造洋風建築。盛岡市の保存建築物に指定されている。
明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行の建物を保存活用。石川啄木と宮沢賢治が過ごした明治・大正時代の盛岡の街と、2人の歩みを紹介。重要文化財の建物も必見で、旧頭取室(映像体験室)や旧金庫室(光と音の体験室)など見どころ多数。1階には喫茶「あこがれ」やオリジナルグッズを販売するショップもある。
中尊寺東方の高館は、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった場所。山頂の義経堂には、義経公の尊像が安置されている。芭蕉が「夏草や兵共が夢の跡」と詠んだ地でもあり、入口の階段を上った右側には芭蕉や曽良[そら]の句碑が立つ。眼下に衣川、北上川も眺望できる。春から初夏にかけてはツツジが美しい。
昭和天皇のご成婚を記念して建築され、昭和2年(1927)に完成した。東京都の日比谷公会堂や早稲田大学大隈記念講堂で有名な佐藤功一氏が設計しており、外壁をスクラッチタイル張りにしたモダンな造りは当時も注目を集めた。平成18年(2006)に国の登録有形文化財として登録され、また、平成25年(2013)に盛岡市の都市景観賞を受賞した。庭園には盛岡出身で「平民宰相」として有名な原敬の胸像(本山白雲作)が設置されている。現在は、会議・習い事教室・イベントなどに、会議室・大ホールを貸し出している。
道行く人の安全を守り、悪霊、邪神を防ぐといわれる。道祖神・幸神の性格をもつ。
岩山山頂の展望台周辺に広がる、文学ファンや市民に親しまれている公園。昭和57年(1982)に石川啄木の没後70年を記念して建てられた啄木の銅像と、啄木・節子夫妻の歌碑がある。また、啄木生誕111年を記念して平成9年(1997)に設けられた啄木詩の道は、約100mの散歩道に「ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」など、一首ずつ自然石に刻んだ詩碑が10基配されている。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に位置する城跡公園。盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、寛永10年(1633)に完成。明治39年(1906)に近代公園として整備され、「岩手公園」として開園した。国指定史跡である盛岡城跡の本丸、二ノ丸、三ノ丸、淡路丸などの曲輪を配した城内には、数多くのあづまやや歌碑・石碑が配され、桜や梅、イロハモミジ、藤棚、アジサイなど、さまざまな植物が四季を彩る。なかでも、盛岡産の花崗岩を積み上げた壮大な石垣は圧巻で、「日本100名城」にも選定されている。
宮沢賢治詩碑のすぐ近くにある。南部藩主の警備に当たるため、花巻同心組として住んでいた曲り家式の建物を移転・復元したもの。外観は4~11月の期間見学自由。また、5~10月の土・日曜、祝日と夏休み期間は同心屋敷の縁側で湯茶サービスを実施。
約250年前に東北地方は大飢饉に襲われた。心を痛めた大慈寺の義山和尚が、天明3年(1765)に犠牲者の冥福を祈り、読経しながら自然の花崗岩に羅漢像を彫ったといわれている。近くには、社前の木に左手で赤い布を結べたら縁が結ばれるという卯子酉[うねどり]様(神社)がある。
毛越寺境内に2代藤原基衡が造園した、日本最古の浄土庭園。州浜や築山、出島石組と池中立石が配された大泉ケ池を中心に、浄土を地上に表現したといわれる。平安時代の作庭様式を伝える貴重な遺構の遣水は、池に水を取り入れるための水路。玉石を底に敷きつめ、水の曲がり角や池への注ぎ口には石組みが配されている。毎年5月第4日曜、平安貴族の装束をまとった歌人たちが遣水に盃を流し、和歌を詠む曲水の宴が優雅に行われる。国特別史跡、特別名勝。世界遺産。
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