旧平山家住宅
平山家は津軽藩広田組代官手代をつとめた家。18世紀後半に建てられた豪農の住まいがほぼ原形のまま伝えられ、貴重な資料となっている。
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平山家は津軽藩広田組代官手代をつとめた家。18世紀後半に建てられた豪農の住まいがほぼ原形のまま伝えられ、貴重な資料となっている。
二代藩主津軽信枚が弘前城の南西(風水でいう裏鬼門の方角)の砦として、慶長15年(1610)に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、曹洞宗33カ寺が連なる。
明治35年(1902)1月に、旧陸軍の青森歩兵第5連隊第2大隊210人が吹雪に遭い八甲田山で遭難。その際、捜索隊の目印になるよう雪のなかに仮死状態で立ち続けた後藤房之助伍長の像だ。周囲にはダケカンバが広がり、前嶽を望むことができる。
昭和20年(1945)7月より1年4カ月間、戦火を逃れ暮らした大正11年(1922)築の木造家屋。当時は斜陽館の離れだった。作家になってからの太宰の居宅としては唯一現存。『故郷』『トカトントン』など、23作品がここで生まれた。太宰の書斎に座ることができる。
旧制弘前高等学校時代に、太宰治が下宿をしていた家(旧藤田家住宅)。大正時代の和風住宅で、太宰の部屋は2階奥の出窓と縁側のある6畳間。実際に使われていた文机や茶だんすなどが残されており、太宰が生活していた雰囲気を感じることができる。見学自由。
弘前公園にある三層三階の弘前城天守には、平成27年(2015)に行われた曳屋[ひきや]に関する資料などを展示している。弘前城は慶長16年(1611)に2代藩主津軽信枚[つがるのぶひら]によって築城された。天守は文化7年(1810)に再建されたもの。所要15分。
南部利康は南部27代利直の4男で、寛永8年(1631)24歳で早逝。父利直がこれを悼み、翌年建立。入母屋[いりもや]造の桃山様式建築で、霊屋全体に花鳥木が極彩色で描かれている。
弘前城北門(亀甲門)の真向かいにあり、仲町伝統的建造物群保存地区に隣接している。津軽の豪商を代表する江戸時代の建築物として貴重な遺構だ。今もたばこ、地酒などを商っている。
「県重宝」に指定される追手門広場内にある洋館。明治39年(1906)、名工・堀江佐吉によって建てられ、昭和6年(1931)までは市立図書館として使用されていた。八角形の双塔を左右に配した木造3階建てルネサンス様式を基調とした美しい建物で、内部を公開している。
弘前出身で日本商工会議所初代会頭を務めた藤田謙一が大正8年(1919)に建てた別邸。東京から庭師を招いて造らせたという庭園で、総面積は約2万1800平方m。園内は高さ13mの崖地を挟み、高台と低地の2つのエリアに分かれており、国登録有形文化財の洋館・和館・匠館(考古館)が立つ高台の庭園は岩木山を眺望する借景式庭園。ハナショウブやツツジの群落、滝などが配された低地の庭園は池泉廻遊式庭園。各建物内は見学ができ、特に壁の彫刻、ステンドグラスなどに大正時代の趣が残る洋館内には、藤田謙一資料室や大正浪慢喫茶室がある。所要45分。
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