
小督塚
『平家物語』で知られる小督を祀る小さな五輪塔。高倉帝に愛された小督は、中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、嵯峨野のほとりに身を隠す。渡月橋の近くで奏でる「想夫恋[そうふれん]」の琴の調べで居場所が知れ、帝のもとに呼び戻されるが、結局は清盛によって出家させられ、追い出されてしまったという。
- 「嵐山(京福)駅」から徒歩4分/「嵐電嵯峨駅」から徒歩10分
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『平家物語』で知られる小督を祀る小さな五輪塔。高倉帝に愛された小督は、中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、嵯峨野のほとりに身を隠す。渡月橋の近くで奏でる「想夫恋[そうふれん]」の琴の調べで居場所が知れ、帝のもとに呼び戻されるが、結局は清盛によって出家させられ、追い出されてしまったという。
周山街道(国道162号)は、京都御室仁和寺前から京北町周山へ続く道。昔、畑の姥[うば]と呼ばれた梅ケ畑の女性は、梯子や鞍掛けなどを頭上に載せ、この街道から品物を売り歩いた。街道沿いには紅葉がすばらしい高雄、槇尾、栂尾の三尾があり、さらに進むと道は北山杉の美林を抜け、山里の風景を満喫できる。北山杉の里と呼ばれる中川集落では北山磨丸太を立て干しした光景も見ることができる。さらに北へ、笠トンネルを抜けると木と清流の里京北だ。中心部周山には道の駅ウッディー京北などのスポットがあり、桜で名高い常照皇寺などの歴史遺産も点在する。
秦氏の墓と考えられている京都市屈指の古墳。7世紀初頭の前方後円墳で、巨石を積んだ横穴式石室が露出している。玄室の長さは約7m。
平安末期の儒者、清原頼業[よりなり]を祀る。社務所で授かった祈念神石に願い事を祈願し、成就したら祈念神石に御札の石を添えて奉納する習慣がある。金運向上・良縁成就、受験合格に御利益がある。境内の芸能神社には、芸の上達を祈る現代の芸能人の玉垣が数多く並んでいる。
足利義満が康暦元年(1379)、普明国師を開山に宝幢寺を建立。鹿王院はその塔頭だったが、応仁の乱で宝幢寺は廃絶、鹿王院のみが残った。江戸前期作庭の平庭式枯山水庭園は、苔が美しい。女性専用の宿坊としても開かれており、宿泊者は座禅体験(要事前予約)もできる。
舞妓さんや芸妓さん、花魁、静御前などに変身し、写真撮影ができる。男性も義経や沖田総司、お殿様などのメニューがあるので、カップルでも楽しめることうけあい。衣装によっては外出も可。
山陰本線複線電化のため廃線となった旧山陰本線の線路を走るのが、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車。赤い車体に山吹色と黒の模様のアール・デコ調の列車が、JR嵯峨嵐山駅に隣接するトロッコ嵯峨駅から、トロッコ亀岡駅までの7.3kmをのんびり25分ほどかけて走る。途中に鉄橋やトンネルがあり、保津川の渓谷の眺めも左から右と変わる。車両の中には、天井がガラス貼りで、側面は吹き抜けになったものも。全席指定なので観光シーズンは、乗車券を1カ月前から発売しているので、事前に購入しておくといい。
秦氏の氏寺。秦河勝[はたのかわかつ]が聖徳太子から賜った仏像を奉じて、一宇を創建したのが起こりと伝わる。宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)が安置されている。宝髻[ほうけい]弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は、泣いたような表情から泣き弥勒と呼ばれる。ほかにも国宝・重要文化財の仏像を多数所蔵。赤堂と愛称される講堂(重要文化財)は、藤原末期の建築。
のどかな田園風景が広がる北嵯峨にある観月の名所。周囲約1kmのこの池は、一説に嵯峨野を開拓した秦氏の手によって造られたといわれる。平安時代には池の畔に月見堂や釣殿などがあり、西行や藤原定家らの和歌にも詠まれた。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
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