上野恩賜公園
上野駅公園口前から、鴬谷駅の西側に広がる。慶応4年(1868)の彰義隊[しょうぎたい]の戦いで堂塔がほとんど消失した寛永寺の境内で明治6年(1873)には日本で最初の公園に指定。大正13年(1924)に当時の東京市が宮内省から下賜され、都市公園として整備。春にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜が咲き乱れ、都内有数のサクラの名所でもある。
- 「上野駅」から徒歩5分/「京成上野駅」から徒歩6分
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上野駅公園口前から、鴬谷駅の西側に広がる。慶応4年(1868)の彰義隊[しょうぎたい]の戦いで堂塔がほとんど消失した寛永寺の境内で明治6年(1873)には日本で最初の公園に指定。大正13年(1924)に当時の東京市が宮内省から下賜され、都市公園として整備。春にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜が咲き乱れ、都内有数のサクラの名所でもある。
明治15年(1882)に開園した日本初の動物園。東園と西園に分かれた園内では、世界各地の動物を飼育。ジャイアントパンダやアジアゾウ、キリン、ハシビロコウなど珍しい動物も多くみられる。ジャイアントパンダの生息地でもある四川省の森を再現した展示施設「パンダのもり」には、同じ生息地に暮らすレッサーパンダや中国のキジ類の展示施設がある。旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)も敷地内にある。
地球館では、最新の研究結果に基づき恐竜や剥製、宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)などが展示され迫力満点。日本館では日本列島の形成や日本の自然史、日本の暦や望遠鏡などがクラシカルな建物の中で紹介されている。家族みんなで楽しめる博物館だ。
東上野2丁目付近の、昭和通り・首都高速1号線の東側に平行する通り。東京で一番古いといわれているコリアンタウンで、第二次世界大戦直後の混乱期に、「上野親善マーケット」として韓国人の人々が焼肉店や韓国食材店、民族衣装店などを開いたのが始まり。キムチ横丁とも東上野コリアンタウンとも呼ばれ、本場の味が楽しめる焼肉・韓国家庭料理店をはじめ、キムチや韓国調味料などを販売する食材店、焼肉用ホルモンの精肉店などの店舗が並ぶ。キムチの種類の多さに驚かされる自家製の総菜店も多い。
JR御徒町駅の東側一帯に広がる大規模な問屋街。宝飾品の問屋が並び、市価の5割程度で売られている商品など、格安で宝飾品が手に入る。じっくり探せば、きっと掘り出し物が見つかるはず(但し、一般消費者は入店できない店舗あり)。
祭神は徳川家康。寛永4年(1627)、藤堂高虎の屋敷地に創建された。入口には石造りの明神大鳥居、参道両側には諸国大名から寄進された200基の石灯篭、48基の青銅製灯篭が並ぶ。本殿・拝殿・唐門など重要文化財も多い。ぼたん苑では、1~2月中旬の冬の牡丹と4月中旬~5月中旬の春牡丹、9月下旬~10月下旬にはダリアを見ることができる。
浅草寺本堂隣にある神社は、「三社さま」の愛称で親しまれてきた。毎年5月に行われる「三社祭」で本社神輿三体の宮出し、宮入りがされることでも知られる。徳川3代将軍家光公により建立された社殿(重要文化財)は、権現造り。
約100年前まで上野に鎮座していた大仏。関東大震災で首が落ち、第二次世界大戦では、軍によって胴体が徴収されてしまったため、現在はお顔のみが残る。大仏に降りかかった幾多の災難から、「もうこれ以上は落ちない」として、合格祈願に来る受験生に人気。
隅田川の両岸、堤防を補強する護岸基礎を親水施設として開放した水辺テラス。船が行き交う様子や、東京スカイツリーなどが見える場所もある。地元の人がランニングコースとして利用していることもあり、春にはお花見ができるお散歩ルートとしても人気。
天台宗の関東総本山。寛永2年(1625)、天海僧正によって創建。創建当時は徳川将軍家の祈祷寺だったが、後に菩提寺も兼ねるようになった。幕府の庇護の下、盛時には30余りの堂塔と36の子院が立ち並んだが、上野戦争でその多くを焼失。現在の本堂は、明治12年(1879)に川越の喜多院本地堂を移築し再建したものだ。
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