
大仙院
大徳寺の塔頭の一つ。国宝の檜皮葺の方丈(本堂)を取り巻く枯山水の庭園(国指定史跡・特別名勝)は、蓬莱山から大海へ至る水の流れが、石組みや砂利で表現されていて見事。書院の拾雲軒は国指定重要文化財。方丈内は狩野元信筆と伝わる花鳥図(国指定重要文化財)などの襖絵で装飾されている。座禅の体験や抹茶(菓子付)300円も楽しめる。
- 「北大路駅」から徒歩20分/「鞍馬口駅」から徒歩25分
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大徳寺の塔頭の一つ。国宝の檜皮葺の方丈(本堂)を取り巻く枯山水の庭園(国指定史跡・特別名勝)は、蓬莱山から大海へ至る水の流れが、石組みや砂利で表現されていて見事。書院の拾雲軒は国指定重要文化財。方丈内は狩野元信筆と伝わる花鳥図(国指定重要文化財)などの襖絵で装飾されている。座禅の体験や抹茶(菓子付)300円も楽しめる。
安産や子授けのご利益で有名なため、妊産婦の参拝者が多い。安産御守の本体である稲藁に節があれば男児を、なければ女児を授かるという珍しい信仰が人気を集めている。また、境内の六勝[ろくしょう]神社は「六つかしいことに勝つ」とも読めることから、必勝、成功、開運、合格祈願の神様として崇敬される。
太秦は養蚕・機織りの技術に優れた秦氏の居住した地であったことから、木島坐天照御魂神社の境内には養蚕社が祭られ、一般に「蚕の社」といわれるようになった。今も製糸業者の信仰が厚い。また、日本で唯一の三方が正面となる三柱鳥居がある。
『平家物語』の遺跡として、昭和になって再建された寺。平重盛に仕え、宮中の滝口の侍になった斎藤時頼は、建礼門院に仕える横笛との結婚を望むが父に反対され、落胆のあまり出家。滝口入道と呼ばれた。それを知って訪れた横笛に会おうとはせず、高野山に入ったという。本堂に悲恋の2人の木像があり、参道には横笛の歌碑が立つ。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女が、潔斎のためにこもった所。クヌギの丸太を組んだ黒木の鳥居や小柴垣の簡素な佇まいの小さな社で、『源氏物語』の「賢木」の巻、謡曲『野宮』などに描かれた当時の様子を彷彿とさせる。今では縁結び、進学の神社として知られるようになった。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
延暦3年(784)長岡京遷都にあたり、藤原氏出身の皇后が、奈良にある氏神の春日大社まで参拝する不便を除くため創建したことに始まる。平安遷都後の嘉祥3年(850)、文徳天皇により壮麗な社殿が造営された。社殿は春日大社と同じ檜皮葺き、丹塗りの春日造になっている。4棟が並ぶ現在の本殿は慶安年間(1648~52)に後水尾天皇が造営。境内には猿沢池に擬して鯉沢池もある。
聖武天皇の勅命により、724年に行基が開基したと伝わる古刹。聖武天皇が夢で龍神より打出と小槌を賜ったとの伝説が残る。この打出と小槌を用いた祈祷は金運のご利益を求める参拝者に人気がある。また、打出と小槌の形をしたお守りを授与している。境内には山崎の戦いの折、秀吉公が宝積寺を本陣とした縁から一夜で建立された三重の塔、腰掛けられていた石が残る。また、閻魔大王像をはじめとした多くの重要文化財の仏像を祀っている。
泉涌寺の別院。南北朝時代の北朝の天皇の位牌を安置する霊明殿と、本堂(重要文化財)がある。庫裏に安置されている真っ黒な色をした鎌倉時代の大黒天像は、左足を一歩踏み出した姿勢がユーモラスで、「走り大黒」と呼ばれている。写経体験(拝観料・抹茶・菓子付き2000円)も開講。写経受付時間は9~15時。
皇室とゆかりが深く、御寺[みてら]と呼ばれる古刹。境内には狩野探幽作の天井絵などが見られる仏殿(重要文化財)がある。大門近くの観音堂には、唐の玄宗皇帝[げんそうこうてい]が楊貴妃の冥福を祈り造らせたという楊貴妃観音坐像(重要文化財)が祭られ、良縁や安産、美容に御利益があるという。
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