
曹源寺さざえ堂
文治3年(1187)、新田義重公が京から迎えた養姫[ようひめ]の祥寿姫[しょうじゅひめ]の菩提を弔うために建てられた六角堂が起源。2度の火災後、寛政5年(1793)に建立された3階建ての栄螺堂[さざえどう]と呼ばれる観音堂を本堂としている。栄螺堂は、その名の通り内部が螺旋[らせん]形式の回廊になっており、秩父、坂東、西国の観音札所に因んだ100観音像を安置し、国の重要文化財に指定されている。
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文治3年(1187)、新田義重公が京から迎えた養姫[ようひめ]の祥寿姫[しょうじゅひめ]の菩提を弔うために建てられた六角堂が起源。2度の火災後、寛政5年(1793)に建立された3階建ての栄螺堂[さざえどう]と呼ばれる観音堂を本堂としている。栄螺堂は、その名の通り内部が螺旋[らせん]形式の回廊になっており、秩父、坂東、西国の観音札所に因んだ100観音像を安置し、国の重要文化財に指定されている。
創建は不詳であるが、大同元年(806)に大沼の畔に遷座された記録が残されている。大沼の東、小鳥ケ島に鎮座し、赤城山と湖の神様・赤城大明神を祀る。女性の願かけ神社としても有名。
沼田市の北、標高約1322mの山中にあり、杉が生い茂る参道はまさに深山幽谷といった雰囲気。桓武天皇の皇子葛原親王の発願で、円仁慈覚大師が嘉祥元年(848)に開祖したという曹洞宗の名刹。東京高尾山の薬王院、栃木県鹿沼の古峰[ふるみね]神社とともに関東三大天狗の一つとして名高い。本殿には顔の長さ6.5m、鼻の高さ2.8mという大天狗面が奉納されている。大小さまざまな天狗面とともに祭られており、その眺めは圧巻だ。
慶長18年(1613)徳川家康公が先祖とする新田義重[よししげ]公の菩提を弔うために建立した寺。山門の精緻な彫りものが見事。初代住職に迎えられた呑龍上人[どんりゅうしょうにん]は、貧しい民の子供を弟子という名目で養育したことから「子育て呑龍様」として親しまれ、現在でも多くの親子連れが参拝に訪れる。本堂の後ろに新田義重公と呑竜上人の墓が立つ。また、関東菊花大会の開催地としてもよく知られ、毎年10月25日~11月25日には、見事な菊の花を鑑賞できる。無料。
赤い鳥居の小さなお社が遊歩道の終点。ここから吹割大橋を渡って元の道に戻ろう。
応永33年(1426)開山された古刹で、巌谷小波[いわやさざなみ]の童話『文福茶釜[ぶんぶくちゃがま]』のモデルとなった伝説のある寺。総門から茅葺きの山門までの参道には、表情や姿形の異なる20体の狸の像が並び、参拝者のほほえみを誘っている。茅葺きの法堂では、周囲1.2m、重さ11.3kgもある伝説の分福茶釜を見学できる。
寛永21年(1644)に徳川家光が日光東照宮奥社から世良田に拝殿と唐門、多宝塔を移築し、本殿を新築して、世良田東照宮は勧請された。桃山時代の建築様式を表した拝殿や、左甚五郎作・狩野探幽画の彫刻「巣籠りの鷹」が施されている本殿は、ともに国の重要文化財。境内は国指定史跡に指定されている。
石段を下ったところに社殿が立つ珍しい造りの神社。531年創建と伝わり、延喜式神名帳[えんぎしきじんみょうちょう]に名神大社として列せられている。本殿、拝殿、楼門は、徳川家光により再建され、国指定重要文化財となっている。近年、本殿・拝殿の修復が行われ、江戸時代初期の荘厳華麗な姿に復旧した。
鎌倉建長寺を本山とする臨済宗の禅寺。創建は暦応2年(1339)南北朝時代。四季を通し百種以上の花を楽しめる。本堂南側の枯山水の臥龍庭、西側の滝を天に昇りゆく龍に見たてた昇龍の滝、北側は青龍の滝と、本堂回廊をめぐり楽しめる。
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