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毛越寺境内にある天台宗修法道場。現在の建物は、仙台藩主・伊達吉村の武運長久を願い、亨保17年(1732)に再建されたもの。宝形造りで、須弥檀中央に本尊の宝冠を被った阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿に摩多羅神が祀られている。1月20日の二十日夜祭(摩多羅[またら]神祭)では、優雅な延年の舞が披露される。
嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。
中尊寺を開山した慈覚大師(円仁)が嘉祥3年(850)に勧請したと伝わる中尊寺の鎮守社で、明治の神仏分離令により中尊寺と分離。国指定重要文化財の能舞台があることで知られ、入母屋造り茅葺き屋根の能舞台は、嘉永2年(1849)の焼失後、嘉永6年(1853)に伊達慶邦により建立寄進されたもの。本舞台、鏡の間、橋掛の構成は本格的であり、東日本では最古の能舞台とされており、現在でも祭礼においては能が奉納されている。
毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、平成元年(1989)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている。講話を聞いたり、座禅体験(要予約)も可。
中尊寺境内にある、藤原氏4代の廟所。天治元年(1124)、清衡の建立と伝わる。鉄筋コンクリートの覆堂で保護された堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には、中央に清衡、向かって左に基衡・右に秀衡の遺体を安置。秀衡の側に4代泰衡の首級を納める。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されている。
延暦20年(801)坂上田村麿[さかのうえたむらまろ]公は、窟[いわや]に巣喰い良民たちを苦しめていた悪路王等蝦夷を討ち、戦勝の御礼として108体の毘沙門天を祀り、「窟毘沙門堂」を建立した。昭和21年(1946)の火災により焼失したが、昭和36年(1961)に再建され、現在約30体の毘沙門天が残る。国指定史跡。堂の左側の岩壁には、11世紀に刻まれた「北限の磨崖仏」と称される岩面大仏がある。
神亀5年(728)開山と伝わる東北屈指の天台宗の古刹。地元では「御山」とも呼ばれ、本堂は万治元年(1658)、盛岡藩主・南部重直によって建立されたもので、本堂・仁王門ともに国指定重要文化財。本尊は聖観音立像で、十一面観音立像とともに、平安中期の作として国の重要文化財に指定されている。昭和末期には、第73代住職となった僧侶で作家の瀬戸内寂聴師の「青空説法」で知られるようになった。6月中旬~8月下旬にはアジサイが咲き誇り、7月にはあじさい祭りも開催される。
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