
宝徳寺
石川啄木記念館の近くにある啄木の育った寺。啄木の父一禎[いってい]はこの寺の住職で、啄木は1~18歳までをこの寺で過ごした。『悲しき玩具』や『一握の砂』にも歌われている。啄木の命日4月13日には、啄木忌が開かれる。
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石川啄木記念館の近くにある啄木の育った寺。啄木の父一禎[いってい]はこの寺の住職で、啄木は1~18歳までをこの寺で過ごした。『悲しき玩具』や『一握の砂』にも歌われている。啄木の命日4月13日には、啄木忌が開かれる。
京都、兵庫県加東市の清水寺とともに日本三清水として、名を知られる古刹。大同2年(807)坂上田村麻呂が観音像を安置したのが始まりといわれる。
毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、平成元年(1989)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている。講話を聞いたり、座禅体験(要予約)も可。
前九年の役の際、源頼義、義家父子が必勝を祈願するため、康平5年(1062)に創建したと伝えられ、その後南部藩主が領内守護の総氏神と仰ぎ、大社殿を造営した。9月13~16日の例大祭には、華麗な風流山車が町中を練り歩き、勇壮な南部流鏑馬が奉納される。
早池峰山の麓にある神社。大同2年(807)土地の猟師が山頂で神意を受けて一宇を建立したのが始まりといわれる。現在の本殿は慶長15年(1610)に建立され、盛岡藩の東の鎮山として栄えた。
長野川と鷹鳥屋[たかとりや]川の合流点に高さ約54mの巨岩があり、そのふもとに不動尊を祭っている。岩の面は龍がうねった形に似ている。2月28日にはこの岩をご神体とした裸参りが行われ、無病息災を祈る。
中尊寺を開山した慈覚大師(円仁)が嘉祥3年(850)に勧請したと伝わる中尊寺の鎮守社で、明治の神仏分離令により中尊寺と分離。国指定重要文化財の能舞台があることで知られ、入母屋造り茅葺き屋根の能舞台は、嘉永2年(1849)の焼失後、嘉永6年(1853)に伊達慶邦により建立寄進されたもの。本舞台、鏡の間、橋掛の構成は本格的であり、東日本では最古の能舞台とされており、現在でも祭礼においては能が奉納されている。
嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。
白幡[しらはた]神社の境内にある女地蔵。しばしば台座からいなくなったため、さすらい地蔵といわれるようになったという。
延徳2年(1490)に開山し、山門には3.5mの仁王像が安置される曹洞宗の寺。境内左手の十王堂の前に、頭に円形のくぼみのあるカッパ狛犬がある。昔、寺が火事になったときに、小川に住んでいたカッパが火消しをしたことから祭られるようになった。本堂には、体の悪い部分をなでると痛みが取りのぞかれるという木像のオビンズルサマがある。
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