
毛越寺 大泉が池
毛越寺境内にある、浄土庭園の中心となる池。東西約180m、南北約90m。東南隅に洲浜が入江をつくり、かたわらに荒磯を表した石組の出島がある。池の中央には島、水辺には美石を並べ、龍頭鷁[げき]首の船を浮かべたという。ゆるやかに流れる、全長80mの遣水も注ぐ。池の周囲は、桜・ツツジ・花ショウブ・蓮・萩など四季の花々が囲み、5月第4日曜には曲水の宴といわれる平安時代の歌遊びが繰り広げられる。
- 「平泉駅」から徒歩14分
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毛越寺境内にある、浄土庭園の中心となる池。東西約180m、南北約90m。東南隅に洲浜が入江をつくり、かたわらに荒磯を表した石組の出島がある。池の中央には島、水辺には美石を並べ、龍頭鷁[げき]首の船を浮かべたという。ゆるやかに流れる、全長80mの遣水も注ぐ。池の周囲は、桜・ツツジ・花ショウブ・蓮・萩など四季の花々が囲み、5月第4日曜には曲水の宴といわれる平安時代の歌遊びが繰り広げられる。
貞和4年(1348)、無底良韶禅師によって開創された曹洞宗の古刹。「奥の正法寺」の名で広く親しまれている。現在73カ寺の末寺を有し、その歴史と格式にふさわしい寺宝や伽藍を数多く保存。茅葺き屋根の法堂・庫裡・惣門の三棟は、国の重要文化財。修行道場として、今も、禅の修行が行われている。
延暦20年(801)坂上田村麿[さかのうえたむらまろ]公は、窟[いわや]に巣喰い良民たちを苦しめていた悪路王等蝦夷を討ち、戦勝の御礼として108体の毘沙門天を祀り、「窟毘沙門堂」を建立した。昭和21年(1946)の火災により焼失したが、昭和36年(1961)に再建され、現在約30体の毘沙門天が残る。国指定史跡。堂の左側の岩壁には、11世紀に刻まれた「北限の磨崖仏」と称される岩面大仏がある。
約900年前に創建された東北屈指の名刹。高さ20mにも及ぶ総ケヤキ造りの山門が堂々と構えている。長安寺のシンボルともいえる山門は、寛政8年(1796)に着工されたが、禁制のケヤキを使用した上に17.5mの高楼であるという二つの理由で、伊達藩より取り壊しを命じられた。しかし文化4年(1807)、「廓念坊秀諦」が弁明に努め、工事続行不可を条件に黙認された。そのため、扉なし、袖なし、開きなしの門となっている。現在の本堂は明治16年(1833)創建。境内では市の天然記念物に指定されている「奥州しだれ桜」「長安寺大イチョウ」を見ることができる。
中国様式の珍しい山門を持つ。盛岡出身の第19代総理大臣、原敬の菩提寺としても知られる。
中尊寺月見坂入口から徒歩5分のところにある。文政10年(1827)の再建で、本尊の勝軍地蔵や弁慶衣川立往生の等身木像などがある。
早池峰山の麓にある神社。大同元年(806)、土地の猟師が早池峰山頂で神意を受けて一宇を建立したのが始まりといわれる。現在の本殿は元禄4年(1691)に建立され、中には絵馬などが納められている。境内には拝殿、神門などが立つ。7月18日の例祭日には、近くを流れる猿ケ石川で神輿洗いを行う。
毛越寺境内にある天台宗修法道場。現在の建物は、仙台藩主・伊達吉村の武運長久を願い、亨保17年(1732)に再建されたもの。宝形造りで、須弥檀中央に本尊の宝冠を被った阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿に摩多羅神が祀られている。1月20日の二十日夜祭(摩多羅[またら]神祭)では、優雅な延年の舞が披露される。
毛越寺山門そばにあり、縁結びや恋愛成就にまつわるキュートなデザインのお守りを多数揃える。ちりめん小風呂敷800円やアヤメをあしらった一筆箋300円なども。はと麦、柿葉、熊笹、ほうじ茶などをブレンドした「延年茶」は、長生きのお茶として人気があり、くせがなく、まろやかな味が特徴。温かくても冷やしてもおいしい。
神亀5年(728)開山と伝わる東北屈指の天台宗の古刹。地元では「御山」とも呼ばれ、本堂は万治元年(1658)、盛岡藩主・南部重直によって建立されたもので、本堂・仁王門ともに国指定重要文化財。本尊は聖観音立像で、十一面観音立像とともに、平安中期の作として国の重要文化財に指定されている。昭和末期には、第73代住職となった僧侶で作家の瀬戸内寂聴師の「青空説法」で知られるようになった。6月中旬~8月下旬にはアジサイが咲き誇り、7月にはあじさい祭りも開催される。
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