
尾崎神社
寛永20年(1643)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立された。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年(1878)、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築された。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されている。
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寛永20年(1643)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立された。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年(1878)、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築された。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されている。
加賀藩祖の前田利家公と、正室お松の方を祀る神社。前田家代々の世嗣が住んだ金谷御殿の跡で、ギヤマンをはめ込んだ和洋折衷の神門(重要文化財)が目をひく。高さ25m。特にギヤマンが夕日に映える頃が美しい。琴や琵琶をかたどった橋や島を配した池泉回遊式庭園、金沢城の遺構である東門も見ておきたい。
天慶2年(939)創建。前田家当主が代々病気平癒の祈願に訪れた由緒ある安江八幡宮は、起上り発祥の地。お守りや絵馬、ご朱印帳にまで起上りモチーフが。英語が話せる神主による神社ツアーが定期的に行われている。
寛政6年(1794)、加賀藩藩校の鎮守として創建された。前田家の祖先と伝わる、学問の神様、菅原道真を祀り、合格祈願の社として地元の信仰が厚い。相殿に金運・災難除けの白蛇龍神も祀る。本殿・拝殿は国指定保存文化財に指定されている。
寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
ひがし茶屋街の山側は約50の寺社が集まる卯辰山山麓寺院群。徳田秋聲ゆかりの静明寺から北金沢の鎮守・小坂神社まで、寺社をつなぐ心の道が整備されている。珍しい七稲地蔵のある寿経寺や眺望のいい宝泉寺がおすすめ。
加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場だ。金沢市指定眺望点。
天正11年(1583)に藩祖・前田利家が創建した寺。堂内には、利家公寄進の大仁王尊像がある。本堂、山門、庫裡は国の登録有形文化財に登録されている。
杉木立が鬱蒼と茂る、広大な大名墓所。天正15年(1587)、加賀藩祖の前田利家が兄・利久を野田山に埋葬して以来の歴史のある墓所で、利家をはじめ歴代の藩主一族が眠る。利家の4女・豪姫、3代藩主利常の正妻・珠姫の墓もある。
市街地から南に約3km、加賀前田家歴代の人々や室生犀星が眠る野田山墓地に隣接する曹洞宗の名刹。2万平方mの境内には山門、仏殿(国指定重要文化財)、坐禅堂など禅宗様式の七堂伽藍が整備され、今も数多くの雲水が修行に励み、厳粛な雰囲気が漂う。坐禅の寺として知られ、毎朝の坐禅では一般にも親切な指導がある。
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