宝泉寺
加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場だ。金沢市指定眺望点。
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													加賀百万石の前田利家公の守り本尊である、摩利支天をまつる真言宗の寺。日本三摩利支天のひとつで、毎朝護摩修法が行われる必勝祈願の霊場だ。金沢市指定眺望点。
													かつて金沢城二の丸にあった能舞台・舞楽殿がある。明治3年(1870)、幕末の戦乱で戦死した加賀藩士たちを祭る社殿として卯辰山に移築後、中村神社の拝殿になった。漆黒の格子天井や緻密な細工の欄間に当時の金沢城の雅がうかがえる。
													寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
													金沢の地名の由来に登場する芋掘藤五郎が、奈良時代に建立したといわれる寺。本堂に安置される本尊は、国の重要文化財に指定された阿弥陀如来像だ。像高21cmと小さいが、大ぶりな頭や手に重量感がある金銅仏。護摩堂に祀られている平安時代作の木造不動明王坐像は金沢市の文化財に指定されている。金沢観音霊場第14番札所。藤五郎夫婦の像や藤五郎の墓もある。拝観説明あり。
													寛永20年(1643)加賀藩四代藩主前田光高が曽祖父である徳川家康公(東照大権現)をお祀りするため、金沢城北の丸に建立された。朱塗りで彫刻や飾り金具が施され、日光東照宮の縮図ともいわれ、明治11年(1878)、金沢城内に陸軍省が駐屯することとなり、現在地に移築された。本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀等は国の重要文化財に指定されている。
													慶長4年(1599)金沢城の鬼門のこの地に加賀藩祖前田利家公を祀り、加賀藩社(徳川に遠慮して、表向きは利家公を神格化出来ずまた規模も小さい卯辰八幡宮)として藩の祈祷所となる。明治4年(1871)の廃藩置県により藩の庇護がなくなり社名を「宇多須神社」とした。境内には五代藩主綱紀公の疱瘡を治したという「酒湯[ささゆ]の井戸」がある。綱紀公の後見人であった利常公に治癒を祝って三代将軍家光公より時服20を拝領したという記録がある。
													慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛により建立。本堂には、病気平癒や開運にご利益のある開運霊薬不動尊。子どもに関する願い事を叶える幸福地蔵の他、加賀友禅作家の木村雨山の作品、能面が数多く展示。境内の幸福の道には、十二支像が安置されている。時計回りに2周回り、3周目に自分の干支の前へ行き、合掌してお願い事を1つだけし、最後に、白不動の前で合掌すると願いが叶うといわれる。9月のお彼岸の時期には、白い彼岸花(曼珠沙華)が約1万本の花を咲かせる。
													珠姫の寺としてもしられる天徳院。加賀藩3代藩主・前田利常の正室、珠姫の菩提寺。珠姫の晩年をからくり人形で紹介している。1日4回上演(12~2月は3回、それ以外の時間帯はDVDによる上映)。四季折々の庭園を眺めながら楽しめる、抹茶席あり。予約すれば、珠姫てまり万頭も味わえる。
													金沢聖霊総合病院に隣接。昭和6年(1931)の木造建築で、ロマネスク様式を基調にしたデザイン。内部の連続アーチが美しく、金箔や黒漆塗りで仕上げられた円柱が金沢らしい。西洋と日本の感性が調和した建築物として県指定有形文化財となっている。見学は自由。ガイドの類はなし。団体見学の場合は事前連絡を。
													寛政6年(1794)、加賀藩藩校の鎮守として創建された。前田家の祖先と伝わる、学問の神様、菅原道真を祀り、合格祈願の社として地元の信仰が厚い。相殿に金運・災難除けの白蛇龍神も祀る。本殿・拝殿は国指定保存文化財に指定されている。
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