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杉木立が鬱蒼と茂る、広大な大名墓所。天正15年(1587)、加賀藩祖の前田利家が兄・利久を野田山に埋葬して以来の歴史のある墓所で、利家をはじめ歴代の藩主一族が眠る。利家の4女・豪姫、3代藩主利常の正妻・珠姫の墓もある。
市街地から南に約3km、加賀前田家歴代の人々や室生犀星が眠る野田山墓地に隣接する曹洞宗の名刹。2万平方mの境内には山門、仏殿(国指定重要文化財)、坐禅堂など禅宗様式の七堂伽藍が整備され、今も数多くの雲水が修行に励み、厳粛な雰囲気が漂う。坐禅の寺として知られ、毎朝の坐禅では一般にも親切な指導がある。
嘉吉2年(1442)、蓮如上人(1415~1499)の叔父・如乗[にょじょう]が創建。一向一揆の拠点となったところで、山は石、海は池で表現したとされる、蓮如ゆかりの庭園・九山八海[くせんはっかい]がある。
慶長4年(1599)金沢城の鬼門のこの地に加賀藩祖前田利家公を祀り、加賀藩社(徳川に遠慮して、表向きは利家公を神格化出来ずまた規模も小さい卯辰八幡宮)として藩の祈祷所となる。明治4年(1871)の廃藩置県により藩の庇護がなくなり社名を「宇多須神社」とした。境内には五代藩主綱紀公の疱瘡を治したという「酒湯[ささゆ]の井戸」がある。綱紀公の後見人であった利常公に治癒を祝って三代将軍家光公より時服20を拝領したという記録がある。
一般に七稲地蔵[なないねじぞう]の名で通っているとおり、境内には稲を抱いた7体の地蔵が立っている。安政5年(1858)、地震や長雨による凶作が続き米価が暴騰。飢えた民衆が当時町人入山禁止だった卯辰山に入り込み、米が高くて食べられないと直訴したいわゆる泣き一揆が起こった。7体の地蔵は、この一揆で処刑された首謀者7人を祭ったもの。
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