宝泉寺
ひがし茶屋街から子来坂を少し上ったあたり、卯辰山山麓に位置する真言宗の寺。加賀百万石の礎を築いた前田利家の守り本尊である摩利支天を祀り、東京・徳大寺、京都・建仁寺禅居庵と共に日本三摩利支天の一つとされる。毎朝護摩修法が行われる、勝運上昇・心願成就などの霊場としても知られる。境内には、金沢出身の小説家・泉鏡花の小説『五本松』の舞台となったご神木・五本松もあり、境内からの金沢市街の眺望の良さから金沢市指定眺望点にもなっている。
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ひがし茶屋街から子来坂を少し上ったあたり、卯辰山山麓に位置する真言宗の寺。加賀百万石の礎を築いた前田利家の守り本尊である摩利支天を祀り、東京・徳大寺、京都・建仁寺禅居庵と共に日本三摩利支天の一つとされる。毎朝護摩修法が行われる、勝運上昇・心願成就などの霊場としても知られる。境内には、金沢出身の小説家・泉鏡花の小説『五本松』の舞台となったご神木・五本松もあり、境内からの金沢市街の眺望の良さから金沢市指定眺望点にもなっている。
天正13年(1585)、前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立。その後、3代藩主・利常が幕府からの攻撃に備え、寛永20年(1643)現在地に移築した。本堂に続く庫裏は外観が2階建て、内部が4階7層。23の部屋と29の階段がある。物見台ともとれる本堂屋上の望楼、金沢城への地下道と伝えられる大井戸、隠し部屋や隠し階段、ドンデン返し、抜け穴などもあり、別名・忍者寺ともよばれるほど複雑な構造。巧妙に外敵の目をあざむけるようになっている。拝観はガイド付きで予約が必要。幼児、未就学児は保護者同伴でも拝観不可。
かつて金沢城二の丸にあった能舞台・舞楽殿がある。明治3年(1870)、幕末の戦乱で戦死した加賀藩士たちを祭る社殿として卯辰山に移築後、中村神社の拝殿になった。漆黒の格子天井や緻密な細工の欄間に当時の金沢城の雅がうかがえる。
養老2年(718)、卯辰治田多門天社として創建され、地元の人々には「毘沙門さん」と呼ばれる古社。加賀藩祖・前田利家が没した慶長4年(1599)、金沢城の鬼門にあたるこの神社境内地に利家を祀る卯辰八幡宮を建立、藩社とした。徳川に遠慮して、表向きは利家を神格化できず、規模も小さかったが、藩の祈祷所となっていた。廃藩置県後の明治6年(1873)には、尾山神社に利家の神霊が遷座され、後にこちらの神社名を「宇多須神社」と改称。境内には五代藩主・前田綱紀の疱瘡を治したという「酒湯[ささゆ]の井戸」がある。
御祭神は、天照皇大神、豊受姫神。金沢の左義長の元祖。5・10月15~17日春秋祭礼「あぶりもち神事」は300年以上続く、悪事災難厄除伝統特殊神事。祭礼名物「あぶり餅」は、食べる御守と飾る御守(家守)の2種類。樹齢約1000年の御神木の大ケヤキは、金沢屈指のパワースポット。傍らに、「願かけ願い石」も。詩人・中原中也が子供の頃、境内で見た軽業興業(現在のサーカス)を基に、詩「サーカス」を作ったと云われる。御神木大ケヤキの樹皮入り「千年樹守」、「たらよう願い」、「花みくじ願い」等、常時約100種類の御守り等を頒布している。
寛永元年(1624)の建立で、元禄年間(1688~1704)に現在地に再建された。心岩上人作の人骨地蔵尊が有名。高さ4m33cmもある極彩色の地蔵尊で、顔・首・胸・両手・両足の白い部分は、誰にも拝まれることのない無縁仏の人骨が塗り込められているという。心岩上人の自画像図、念仏書、来迎図などを納めた什物堂[じゅうぶつどう]もある。
金沢聖霊総合病院に隣接。昭和6年(1931)の木造建築で、ロマネスク様式を基調にしたデザイン。内部の連続アーチが美しく、金箔や黒漆塗りで仕上げられた円柱が金沢らしい。西洋と日本の感性が調和した建築物として県指定有形文化財となっている。見学は自由。ガイドの類はなし。団体見学の場合は事前連絡を。
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