大久保利通銅像
日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え、彫刻家・中村晋也氏により製作された銅像。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなったとされる馬車夫と馬の像も彫られている。
- 「高見橋駅」から徒歩3分/「加治屋町駅」から徒歩5分
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日本の近代化に尽力した大久保利通の功績を讃え、彫刻家・中村晋也氏により製作された銅像。像の足元には、大久保が暗殺された際に一緒に亡くなったとされる馬車夫と馬の像も彫られている。
維新ふるさと館近くにある誕生地。西郷隆盛は、文政10年(1827)にここで生まれた。このあたりは下級武士の居住区であり、周囲には大山巌や東郷平八郎の誕生地もある。
城山の北隣、鹿児島駅裏手の錦江湾を望む丘に、西郷隆盛をはじめ、桐野利秋・村田新八ら西南戦争で戦死した薩軍兵士(一部)が葬られている。南洲とは西郷の号名で、墓地中央にある彼の墓は、ひときわ大きい。墓地の両側には西郷隆盛を祀る南洲神社、西郷南洲顕彰館[さいごうなんしゅうけんしょうかん](料金:大人200円、時間:9~17時、休み:月曜(祝日の場合は翌日)、電話:099-247-1100)もある。
高麗町で生まれた大久保利通は、ほどなくして加治屋町のこの地に移ってきた。西郷隆盛誕生地からは、約100mの距離にあり、幼なじみとしての二人の親密さも窺える。
島津家18代家久が慶長6年(1601)頃に築いた居館の跡。天守閣をもたない珍しい造りは、鎌倉時代以来の武家の屋形造りの伝統を継承したもの。現在残っているのは石垣や石橋のみで、本丸跡の黎明館に隣接する鹿児島県立図書館は、二之丸跡。黎明館前庭には篤姫の像が立っている。
江戸城の無血開城をはじめ明治政府樹立に大きく貢献し、今も郷土の英雄として人気の西郷隆盛。この銅像は、没後50年を記念して昭和2年(1927)に建立が計画され、渋谷の忠犬ハチ公を制作した鹿児島市出身の彫刻家・安藤照が制作し、昭和12年(1937)に除幕された。台座を含めると約8mにもなる迫力の大きさ。
明治6年(1873)、政変で下野した西郷隆盛が鹿児島の士族のために創設した私学校。元は鹿児島城(通称・鶴丸城)の厩が置かれていた場所で、現在では門と石塀のみが残されている。西南戦争の際にはこの私学校の石塀に多くの銃弾が撃ち込まれ、今でもその被弾の跡を見ることができる。
大正3年(1914)の大噴火の脅威を今でも残すこの鳥居。もとは高さ3mあったものが上部だけを残して埋没している。当時の村長の「掘り起こすことなく災害の遺産として残そう」という意思により今でも埋没したままだ。
万之瀬川沿いの断崖絶壁の場所に高さ20m、幅400mにわたって刻まれた約200基の磨崖仏は、他に例を見ない大規模なもので、歴史・仏教の両面において価値の高い文化遺産といえる。昭和34年(1959)に県の指定文化財になった。
国の重要伝統的建造物群保存地区。麓[ふもと]とは、江戸時代に防衛上の必要から薩摩藩の外城[とじょう]として造った武家屋敷兼陣地のこと。なかでも出水麓は肥後との国境にあり、最大規模を誇った。その他、石垣や武家門や蔵が復元された竹添邸や、税所邸が一般公開されている。歴史ある町並みを観光牛車に揺られて観光できる。観光牛車は土・日曜、祝日運行(雨天運休)。出水麓は、令和元年(2019)5月に認定された日本遺産の構成文化財の一つ。
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