わかさ公園
亜熱帯の植物が四季折々の花を咲かせる公園。小高い丘の上にあり、園内から市街地を一望できるこの公園の名は、鉄砲伝来にまつわる悲劇のヒロイン・若狭から付けられた。公園内には日本とポルトガルの友好を記念して建てられた、日ポ修好記念之碑がある。
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亜熱帯の植物が四季折々の花を咲かせる公園。小高い丘の上にあり、園内から市街地を一望できるこの公園の名は、鉄砲伝来にまつわる悲劇のヒロイン・若狭から付けられた。公園内には日本とポルトガルの友好を記念して建てられた、日ポ修好記念之碑がある。
喜界島の集落には、サンゴの石垣がよく見られる。台風や潮から家々を守るために築かれた、先祖の知恵の産物だ。島の南東部にある阿伝集落は、特によく石垣を残している。サンゴの石垣は毒蛇ハブの棲み家となりやすい欠点があるが、喜界島にはハブがいないため保存状態がいい。
徳之島町の第46代横綱朝潮太郎記念像は、同町出身の力士・朝潮太郎を記念。昭和34~37年(1959~1962)まで大相撲の横綱を務め、初代若乃花と人気を2分した力士で、引退後は朝潮、小錦の両大関を育てたことで知られている。通算優勝5回、殊勲賞4回の成績を残した。
奄美大島の伝統的な穀物貯蔵庫「高倉」。火災から守り、作業の利便性も考えられて集落の外れに集めて建てられていて、大和浜にのみ5棟が残っている。水やシロアリに強い木材イジュを、釘を使わず組み込んで建てられ、通気性がよく、ネズミが上れない構造になっている。貯蔵庫部分は茅葺き屋根の内側、つまり屋根裏部屋。この群倉は築100年を超えるといわれ、鹿児島県の有形文化財に指定されている。
小説『死の棘』などで知られる島尾敏雄を讃える碑。終戦の直前、この碑が立つ呑之浦地区には震洋隊の特攻隊の基地があり、その隊長として任に当たっていたのが若き日の島尾敏雄。のちに彼は、発進間際で終戦を迎えたこのときの極限状況の体験を『出発は遂に訪れず』などの作品に著している。文学碑の周囲には遊歩道が整備されている。
万之瀬川沿いの断崖絶壁の場所に高さ20m、幅400mにわたって刻まれた約200基の磨崖仏は、他に例を見ない大規模なもので、歴史・仏教の両面において価値の高い文化遺産といえる。昭和34年(1959)に県の指定文化財になった。
伊仙町の泉重千代翁之像は、慶応元年(1865)に伊仙町で生まれ、114歳を迎えた昭和54年(1979)にギネスブックで長寿世界一に認定された泉重千代さんを記念するもの。
画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
14~15世紀頃、琉球の北山王の三男である王舅[おおしゃん]が、与論世之主(島主)として島を治めていた。与論城跡はこの王舅が築城していた城だが、建設中に北山王朝が滅亡したため、未完成のまま今に残る。建物はなく、サンゴの石垣のみわずかに跡をとどめている。この石垣は、地面に身を伏せて島を守る龍の姿に似せて造られたという。サザンクロスセンターの5階展望室からは、その構造がよく見える。
西郷隆盛(号は南洲)が幕府からの追及を逃れるため奄美に身を隠したのは安政6年(1859)。この時潜居(潜み住むこと)した地に、西郷が設計した木造家屋が復元され、自筆の書、枕などとともに公開されている。ここで暮らした3年の間に、西郷は愛加那[あいかな]という娘と結ばれ、2人の子をもうけたが、召還命令が下ると、妻子を残して島を離れざるを得なかった。
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