わかさ公園
亜熱帯の植物が四季折々の花を咲かせる公園。小高い丘の上にあり、園内から市街地を一望できるこの公園の名は、鉄砲伝来にまつわる悲劇のヒロイン・若狭から付けられた。公園内には日本とポルトガルの友好を記念して建てられた、日ポ修好記念之碑がある。
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亜熱帯の植物が四季折々の花を咲かせる公園。小高い丘の上にあり、園内から市街地を一望できるこの公園の名は、鉄砲伝来にまつわる悲劇のヒロイン・若狭から付けられた。公園内には日本とポルトガルの友好を記念して建てられた、日ポ修好記念之碑がある。
14~15世紀頃、琉球の北山王の三男である王舅[おおしゃん]が、与論世之主(島主)として島を治めていた。与論城跡はこの王舅が築城していた城だが、建設中に北山王朝が滅亡したため、未完成のまま今に残る。建物はなく、サンゴの石垣のみわずかに跡をとどめている。この石垣は、地面に身を伏せて島を守る龍の姿に似せて造られたという。サザンクロスセンターの5階展望室からは、その構造がよく見える。
鹿児島空港の真ん前、鹿児島のシンボル・西郷隆盛の銅像が目印。この銅像は人物像としては日本一の大きさで、10.5mもあるんだとか。園内には西郷どんの生涯を紹介した歴史資料などが展示されている他、特産品を扱う売店もあるので待ち時間に利用しよう。
「薩摩の小京都」とよばれる知覧は、薩摩藩政時代の外城[とじょう]のひとつとして栄えた地区。武家屋敷群は270年ほど前に造られたものの一部と伝えられ、武士小路という通りに集まっている。国の名勝に指定された7つの庭園はよく手入れされ、母ケ岳の借景や枯山水を取り入れた造り。重厚な石垣に大刈りの植え込みは、琉球や中国の影響を受けたといわれている。国の伝統的建造物群保存地区にも指定されている。
薩摩藩が防衛のために配した出水麓一帯の武家屋敷群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。薩摩藩の外城制度の特徴的な武家住宅を一部復元した「竹添邸」は一般公開されており、テレビドラマのロケ地にもなった。
小説『死の棘』などで知られる島尾敏雄を讃える碑。終戦の直前、この碑が立つ呑之浦地区には震洋隊の特攻隊の基地があり、その隊長として任に当たっていたのが若き日の島尾敏雄。のちに彼は、発進間際で終戦を迎えたこのときの極限状況の体験を『出発は遂に訪れず』などの作品に著している。文学碑の周囲には遊歩道が整備されている。
肥後藩との国境の要地に、1600年前後に設けられた関所。江戸時代、独自の封建制度を確立していた薩摩藩は人の往来を厳重に取り締まったため、この関所の厳しさは全国にも知られていた。当時を偲ばせる古井戸も残っている。
画家・田中一村は明治41年(1908)栃木県生まれ。南国・奄美の自然に魅いられて昭和33年(1958)、齢50にして奄美に移住。亜熱帯独特の動・植物を描き続けたが、その独特の世界は生涯認められなかった。清貧・孤高の生活を続け、69歳でこの家に移った10日後に死去。作品は「田中一村記念美術館」で見られる。
昭和30年代頃まで島に建ち並んでいた茅葺き民家や琉球式の赤瓦民家が復元され、古き良きのどかな与論の風景を彷彿とさせる。建物内には昔の民具が展示されており、所蔵民具のうち1094点が町指定有形民俗文化財となっている。見学者には、経営者の菊さん一家が丁寧に施設内をガイドし、お茶請けのサービスを提供している。また草木染めや芭蕉布コースター織りといった体験教室も行っているので、ぜひ挑戦して島の文化に触れてみては。ガイド所要時間20分。
名勝「仙巖園」の近くにある、慶応3年(1867)建築の木造2階建てで、4つのバルコニーを持つコロニアルスタイルが特長の洋館。日本初の洋式紡績工場の建設と操業指導のために薩摩藩から招かれた英国人技師達が暮らした洋館で、国指定重要文化財であり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産「旧集成館」の一部でもある。
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