民家園
五ケ瀬町の旧藤田家(国指定重要文化財)や高原町の旧黒木家(国指定重要文化財)など、江戸時代の民家4棟が移築復元されている。所要20分。
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五ケ瀬町の旧藤田家(国指定重要文化財)や高原町の旧黒木家(国指定重要文化財)など、江戸時代の民家4棟が移築復元されている。所要20分。
近世ゴシック様式の重厚な外観と、流麗な装飾がモダンな印象の県庁舎で、平成29年(2017)国の登録有形文化財に登録された。玄関ロビーは県下で採石した大理石が使われるなど豪奢な雰囲気で、手すりには化石まで見られる。また、前庭は日南海岸や青島など県の観光地をイメージして造園。無料の団体向け県庁ツアーも行っている(要予約)。
元暦2年(1185)8月、惟宗忠久は源頼朝から薩摩、大隅、日向国にまたがる島津荘の下司職(荘園の管理人)に任命される。忠久は島津荘の惣地頭職となり、自分が治める荘園の名をとって「島津忠久」と名乗るようになった。これが島津家の始まりとされている。鎌倉より下向した忠久が御所(館)を構えた場所と伝わる祝吉御所跡には、石碑が立つ。
慶長8年(1603)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群のひとつとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ19mの石垣は、ひとつの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望でき、城山の鐘が時を知らせている。平成29年(2017)4月6日(城の日)に「続日本100名城」に選ばれた。
江戸時代、飫肥藩(伊東氏)五万一千石の城下町として栄え、九州の小京都ともよばれる飫肥。武家屋敷と町家からなる城下町に、古い石垣や生垣、門が見られる。観光の中心となるのは、伊東氏14代の居城・飫肥城。当時は本丸・松尾の丸など11の曲輪を配した南九州型の城。戦国時代には島津豊州家と伊東義祐の間で天文10年(1541)から永禄11年(1568)の28年余りに及ぶ争奪戦が展開された。現在の城跡には、元禄6年(1693)に築かれた石垣などがそのまま残っている。昭和53年(1978)には現在の大手門が、樹齢 100年以上の飫肥杉を使って再建された。
飫肥城跡の大手門に向かって左手に立つ武家屋敷。明治になって藩主の伊東祐帰[いとうすけより]が知藩事に任ぜられ、城内からここに移り住んだ。屋敷の南にある庭園は、広い空間に庭石や石灯籠、庭木などを配して作庭された名庭だ。
大正11年(1922)築の油津赤レンガ館。ドラマ『裸の大将』の撮影も行われた。平成9年(1997)に日南市民有志によって買い取られ保存されることになり、その翌年には国の登録有形文化財となった。
野口雨情の歌碑。ほかにも多くの文人が日南市を訪れている。
日南の山間部で育つ良質な飫肥杉とマグロ漁で栄えた油津。その杉を運搬するため、貞享3年(1686)に造られたのが堀川運河だ。また、かつて材木を保存した赤レンガの倉庫は現在イベント会場等として利用され、油津の町のシンボルとなっている。
各地に残る江戸時代初期の書院造りの御殿を参考にして、昭和54年(1979)に建築された。建物は御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵などから構成され、このうち湯殿は、国宝である西本願寺の飛雲閣のものを模したこけら葺きの総桧造りの蒸し風呂となっている。
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