
黒田の家臣
細島港の先にある風光明媚な陸けい島。京都で起きた薩摩藩の内紛、寺田屋騒動に関係した黒田藩士で、勤王家海賀宮門ほか2士が護送中にこの地の沖合いで惨殺された。この名称は、勤王の志が厚かったこの3人の死を地元民が悼んで墓碑を建てたことに由来する。砂州で繋がった小島へは満潮時を除けば歩いて渡ることができる。
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細島港の先にある風光明媚な陸けい島。京都で起きた薩摩藩の内紛、寺田屋騒動に関係した黒田藩士で、勤王家海賀宮門ほか2士が護送中にこの地の沖合いで惨殺された。この名称は、勤王の志が厚かったこの3人の死を地元民が悼んで墓碑を建てたことに由来する。砂州で繋がった小島へは満潮時を除けば歩いて渡ることができる。
廻船問屋であった明治17年(1884)築の商家を一般公開している。重厚感ある佇まいはもちろん、土間や太い梁など古民家好きは必見の建物。
明治4年(1871)に取り壊されたが、昭和53年(1978)に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元された、飫肥城のシンボル的建物。木造渡櫓[とろ]、本瓦葺き[ふき]の重厚な造りの江戸時代の櫓門だ。
豪商だった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築。飫肥の商人屋敷を今に伝える貴重な遺構。昭和4年(1929)に増築した以外は、ほぼ建築当初のまま。
飫肥城跡の大手門に向かって左手に立つ武家屋敷。明治になって藩主の伊東祐帰[いとうすけより]が知藩事に任ぜられ、城内からここに移り住んだ。屋敷の南にある庭園は、広い空間に庭石や石灯籠、庭木などを配して作庭された名庭だ。
この地で天皇親率の水軍が初めて編成されたことから、日本海軍発祥の地とされ、港には巨大なモニュメントがある。すぐそばには神武天皇が海上安全を祈願したといわれる立磐神社があり、境内には神武天皇が腰掛けたといわれる「お腰掛け岩」が祭られている。
五ケ瀬町の旧藤田家(国指定重要文化財)や高原町の旧黒木家(国指定重要文化財)など、江戸時代の民家4棟が移築復元されている。所要20分。
椎葉に伝わる悲恋物語の主人公・鶴富姫[つるとみひめ]と那須大八郎[なすのだいはちろう]が住んだとされる屋敷。4部屋が横一列に並び、縁も一続きになった、この地特有の寝殿造様の間取りは、神楽などを行うために建てられたという。平安期の屋敷の様式をとどめており、昔の人々の暮らしがうかがえる。所要20分。
字で見すると不思議な地名だが、これはサノノミコト(神武天皇)がお生まれになられた際、母タマヨリヒメが諸物を洗い浄めた場所との言い伝えに基づくとか。
慶長8年(1603)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群のひとつとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ19mの石垣は、ひとつの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望でき、城山の鐘が時を知らせている。平成29年(2017)4月6日(城の日)に「続日本100名城」に選ばれた。
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