
宮崎神宮
狭野杉[さのすぎ]で作られた神明流造の社殿には、初代天皇である神武天皇とその父母君を祀る。神武東遷以前は、この地に都が置かれていたともいわれている。毎年4月には五穀豊穣を願う流鏑馬が、10月には「神武さま」と呼ばれる秋の風物詩「御神幸祭」が行われ、多くの人で賑わう。神社を取り囲む広大な森は、市民の憩いの場所となっている。御神殿などが国の登録有形文化財となっている。
- 「宮崎神宮駅」から徒歩12分
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狭野杉[さのすぎ]で作られた神明流造の社殿には、初代天皇である神武天皇とその父母君を祀る。神武東遷以前は、この地に都が置かれていたともいわれている。毎年4月には五穀豊穣を願う流鏑馬が、10月には「神武さま」と呼ばれる秋の風物詩「御神幸祭」が行われ、多くの人で賑わう。神社を取り囲む広大な森は、市民の憩いの場所となっている。御神殿などが国の登録有形文化財となっている。
阿波岐原の森の中にひっそりとたたずみ、イザナギノミコトとイザナミノミコトの両神を祀る。境内に張りつめる静寂が一種独特の雰囲気を醸し出している。最近ではスピリチュアルスポットとしても注目され、多くの観光客が訪れている。また、神社のすぐそばの自然公園「市民の森」内にある「みそぎ池」は、イザナギノミコトが黄泉の国のケガレをはらったとされる。その際にアマテラスオオミカミやスサノオノミコトなどの神々が生まれたことから、禊発祥の地といわれている。
霧島神宮などと同じく「霧島六社権現」のひとつ。孝昭天皇(紀元前475年即位)の時代、神武天皇が誕生した地に創建されたと伝わる神社。「狭野」の名は、神武天皇の幼名・サノノミコトに由来しているのだそう。
くしふる神社の周辺にあり、高天原遥拝所とともに森林浴を楽しみながら散策ができる。
日向灘に面した自然の洞窟の中に朱塗りの本殿が建ち、神武天皇の父・鵜葺草葺不合命[うがやふきあえずのみこと]を主祭神に祀っている。本殿前には霊石亀石があり、亀石の桝形の穴に男性は左手、女性は右手で願いをこめ運玉を投げ、みごと入ると願いが叶うと云われている。
創建は万治元年(1658)。かつて境内には、樹齢500年といわれる夫婦杉があり、2本の杉の根が強く結びついていたことから縁結び・夫婦円満の神様といわれるように。その御利益から、明治の末ごろまでは新婚夫婦がシャンシャン馬で参拝に訪れ、今も縁結びを願う若い女性で賑わう。境内に残る樹齢650年の楠の大木は見事。
大御神社は天照大御神を御祭神とし“日向のお伊勢さま”として知られ、絶景の大海原を見渡す柱状岩に立つ古社。境内には国歌「君が代」に詠われる日本最大級の「さざれ石」群がある。平成23(2011)年4月には、今から約5000年前の龍神信仰の痕跡とみられる「龍神の玉」と、隣接する岩窟からは「昇り龍」のシルエットが発見された。5000年の時空[とき]を経て甦る古代ロマンを感じる。神武天皇を遥かに遡る時代、この地では真摯な日々の祈りがあったと思われる。
木花開耶姫[このはなさくやひめ]を祀る神社。高天ケ原[たかまがはら]から降臨された瓊瓊杵命[ににぎのみこと]が姫を見初めたことから、縁結びの神として、またこの姫が3つ子を無事出産したことから安産の神、子育ての神としても知られる。姫は、甘酒を作ってお乳替わりに飲ませたともいわれ、境内には「日本酒発祥の碑」も立つ。
霧島六社権現のひとつ。鬼が一夜にして作ったといわれる乱れ積みの石段、振りむかずの坂が、訪れた人を迎える。イザナギノミコトを祭っており、鬼磐階段脇にある樹齢1000年を越す楠や魔石と呼ばれる「神石」が見ものだ。
壇ノ浦の戦いで敗れた平家追討の命を受けた源氏方の那須大八郎宗久が椎葉山中で暮らす平家残党の姿を深く哀れみ、平家一族が拝した安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請し建立した。12月第2土曜から日曜にかけて国指定重要無形民俗文化財の椎葉神楽が夜を徹して奉納される。御祭神は市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]と素盞鳴命[すさのうのみこと]。源平おまもり800円が人気。
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