
アメ横商店街(アメ横)
安さと品数の豊富さから全国的に知られる街で、JR上野駅から御徒町駅までのガード下を中心に広がっている。年末にはおせちの食材を求める人々でごった返し、歳末の風物詩にもなっている。鮮魚から衣類、乾物、化粧品、貴金属、輸入雑貨など、あらゆる種類の店がひしめき合う。終戦直後の闇市から始まり、現在では400を超える店舗がある。
- 「京成上野駅」から徒歩4分/「上野御徒町駅」から徒歩4分
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安さと品数の豊富さから全国的に知られる街で、JR上野駅から御徒町駅までのガード下を中心に広がっている。年末にはおせちの食材を求める人々でごった返し、歳末の風物詩にもなっている。鮮魚から衣類、乾物、化粧品、貴金属、輸入雑貨など、あらゆる種類の店がひしめき合う。終戦直後の闇市から始まり、現在では400を超える店舗がある。
鶯谷駅から徒歩5分の場所にある都内最大級の銭湯。軟水風呂、炭酸泉風呂、マイクロバブル岩風呂などの浴槽がありゆったりできる。常時10種類前後を用意しているサイダーは、お風呂上りにぴったり。
昭和47年(1972)に開館し、西郷隆盛像のすぐ近く、上野公園の緑豊かな木立に囲まれた美術館。企画展では、現代美術や西洋絵画、マンガなど幅広いアートを紹介するほか、美術・書道団体などにも利用され、多くの人に親しまれている。また、「上野の森美術館大賞展」や「VOCA展」などによる美術作家の発掘・支援や、アートスクールなどの活動にも力を入れている。
明治7年(1874)、谷中天王寺と寛永寺の敷地を東京市が引き継ぎ、谷中墓地として開設。10万平方mを超える園内には、長谷川一夫[はせがわかずお]、横山大観[よこやまたいかん]、鳩山一郎[はとやまいちろう]など、多くの著名人が眠る。幸田露伴[こうだろはん]の小説で有名な谷中天王寺の五重塔跡もある。
上野恩賜公園正面入口、石段を上った山王台広場に立つ西郷隆盛像は、明治31年(1898)に建立されたもの。慶応4年(1868)に江戸城を無血開城させ、江戸を戦火から救った功績によって造られた。作者は、彫刻家高村光雲[たかむらこううん](詩人・高村光太郎の父)。草履ばき着流し姿で愛犬とともに立つ姿は、上野のシンボル的存在。
サブリエ・ド・ヴェリエとはフランス語で砂時計のガラス職人という意味。砂時計職人や造形作家による砂時計が並ぶ砂時計専門店だ。旅先から持ち帰った思い出の砂で、砂時計を作ってもらうことも可能。
天台宗の関東総本山。寛永2年(1625)、天海僧正によって創建。創建当時は徳川将軍家の祈祷寺だったが、後に菩提寺も兼ねるようになった。幕府の庇護の下、盛時には30余りの堂塔と36の子院が立ち並んだが、上野戦争でその多くを焼失。現在の本堂は、明治12年(1879)に川越の喜多院本地堂を移築し再建したものだ。
谷中銀座商店街にあるトルコランプの専門店。ランプの販売だけでなくトルコで公認資格を得たスタッフが教えるトルコランプ製作体験を毎日行っている。製作に使用するパーツはすべてトルコから直輸入し、ハンドメイドで加工するというこだわりぶり。これらの素材を使い、2~3時間で自分だけのオリジナルランプ作りを楽しむことができる。
明治15年(1882)に開園した日本初の動物園。東園と西園に分かれた園内では、世界各地の動物を飼育。ジャイアントパンダやアジアゾウ、キリン、ハシビロコウなど珍しい動物も多くみられる。ジャイアントパンダの生息地でもある四川省の森を再現した展示施設「パンダのもり」には、同じ生息地に暮らすレッサーパンダや中国のキジ類の展示施設がある。旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)も敷地内にある。
約100年前まで上野に鎮座していた大仏。関東大震災で首が落ち、第二次世界大戦では、軍によって胴体が徴収されてしまったため、現在はお顔のみが残る。大仏に降りかかった幾多の災難から、「もうこれ以上は落ちない」として、合格祈願に来る受験生に人気。
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