
岡倉天心記念公園
谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
- 「千駄木駅」から徒歩6分/「日暮里駅」から徒歩8分
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谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
上野駅公園口前から、鴬谷駅の西側に広がる。慶応4年(1868)の彰義隊[しょうぎたい]の戦いで堂塔がほとんど消失した寛永寺の境内で明治6年(1873)には日本で最初の公園に指定。大正13年(1924)に当時の東京市が宮内省から下賜され、都市公園として整備。春にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜が咲き乱れ、都内有数のサクラの名所でもある。
天台宗の関東総本山。寛永2年(1625)、天海僧正によって創建。創建当時は徳川将軍家の祈祷寺だったが、後に菩提寺も兼ねるようになった。幕府の庇護の下、盛時には30余りの堂塔と36の子院が立ち並んだが、上野戦争でその多くを焼失。現在の本堂は、明治12年(1879)に川越の喜多院本地堂を移築し再建したものだ。
約100年前まで上野に鎮座していた大仏。関東大震災で首が落ち、第二次世界大戦では、軍によって胴体が徴収されてしまったため、現在はお顔のみが残る。大仏に降りかかった幾多の災難から、「もうこれ以上は落ちない」として、合格祈願に来る受験生に人気。
サブリエ・ド・ヴェリエとはフランス語で砂時計のガラス職人という意味。砂時計職人や造形作家による砂時計が並ぶ砂時計専門店だ。旅先から持ち帰った思い出の砂で、砂時計を作ってもらうことも可能。
上野恩賜公園正面入口、石段を上った山王台広場に立つ西郷隆盛像は、明治31年(1898)に建立されたもの。慶応4年(1868)に江戸城を無血開城させ、江戸を戦火から救った功績によって造られた。作者は、彫刻家高村光雲[たかむらこううん](詩人・高村光太郎の父)。草履ばき着流し姿で愛犬とともに立つ姿は、上野のシンボル的存在。
明治、大正、昭和30年代までの下町の生活を紹介する資料館。商家の店先や長屋の町並みが実物大で再現されている。家具や生活用品は実際に使用されていたもの。2階には、けん玉やお手玉などが置かれ、手にとって遊ぶこともできる。
鶯谷駅から徒歩5分の場所にある都内最大級の銭湯。軟水風呂、炭酸泉風呂、マイクロバブル岩風呂などの浴槽がありゆったりできる。常時10種類前後を用意しているサイダーは、お風呂上りにぴったり。
明治15年(1882)に開園した日本初の動物園。東園と西園に分かれた園内では、世界各地の動物を飼育。ジャイアントパンダやアジアゾウ、キリン、ハシビロコウなど珍しい動物も多くみられる。ジャイアントパンダの生息地でもある四川省の森を再現した展示施設「パンダのもり」には、同じ生息地に暮らすレッサーパンダや中国のキジ類の展示施設がある。旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)も敷地内にある。
上野恩賜公園に広がる、原始時代の海の名残といわれる周囲1.7kmの池。春は桜、夏はハス、冬は水鳥が遊ぶ心安まる都会のオアシス。池の中央にある弁天島には、弁財天を祭る八角形のお堂もある。参道に出店も並び、多くの参拝客で賑わう。
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