
紫雲山頂法寺(六角堂)
本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳があり、その右手には六角形で中央が丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。
- 「烏丸御池駅」から徒歩6分/「烏丸駅」から徒歩8分
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本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳があり、その右手には六角形で中央が丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
寺町通から烏丸通にかけての三条通は、赤レンガの洋館をはじめ、明治・大正期の近代建築が数多く見られ、伝統的な町家とともに独特の町並みを形成している。
鴨川に架かる三条通の橋。擬宝珠[ぎぼし]を冠した木造風の風情ある橋は、京都のシンボル的な景観として広く親しまれている。近世の東海道五十三次の終点だった。現在の橋は昭和25年(1950)に改修されたものだが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が建設した木橋の面影を残し、勾欄の擬宝珠は当時のものが使われている。橋上からは東山、北山、比叡山の諸峰を望める。
夜に賑わう木屋町通と並行して流れている川で、森鴎外の『高瀬舟』で有名。慶長年間(1596~1615)、豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が大坂との物資輸送のために開いた全長10kmの運河で、二条から伏見を経て宇治川に合流する。高瀬舟を使った物資流通は江戸時代に繁栄を極めたが、大正9年(1920)には交通機関の発達により舟運が途絶えた。往時の面影を知るには木屋町二条にある一之船入跡[いちのふないりあと](史跡)へ。掘割には、復元された全長11.3m、幅2.3mの十五石積の高瀬舟が係留されている。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として慶長8年(1603)に造営。後に3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸に伴い大改修が行われ、現在の規模となった。堀を巡らし石垣に囲まれた広大な城内は、二の丸御殿(国宝)、本丸御殿(重要文化財)、二の丸庭園(特別名勝)などからなる。豪壮な外観に反して内部はきらびやかさに満ちている二の丸御殿の障壁画(一部重要文化財)は、狩野派の作で『松鷹図』がよく知られている。本丸御殿は京都御所内にあった桂宮家の御殿の一部を移築したもの。
京都で最も賑やかな錦市場のほど近くにある天満宮。ご祭神は菅原道真公で、学問の祈願はもちろん、市場に近いことから商売繁昌にもご利益があると伝わる。錦の天神さんとよばれ、親しまれている。
明治38年(1905)創業の丸益西村屋は手描友禅などの染色を手掛けてきた老舗の染物屋。その技術を知ってもらいたいと始めた体験工房がここ。京町家「繭」と名付けられた工房の建物は、大正末期から昭和初期に建てられ、「鰻の寝床」と呼ばれる奥行きの深い町家の構造を生かして改装したもの。3コースある京友禅体験では、ハンカチや風呂敷に「摺込友禅」という技法で絵柄を染め入れる京友禅入門コースが手軽。風呂敷包み方教室やお箸&京友禅のお箸入れ作り体験なども楽しい。
京都の歴史と文化が通覧できる京都文化博物館のミュージアムショップ。館オリジナルのミュージアムグッズや美術はがきの他、京都の伝統工芸品などのお土産にぴったりなグッズが揃う。はがき1枚110円~、クリアファイル220円~、館オリジナルトートバッグ1100円など。
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