
一身田寺内町の館
真宗高田派本山専修寺を中心に発展した一身田寺内町。壕や堀などで防御された自治都市で、現在もほぼ完全な形で環濠が残る。館内では、一身田寺内町における地域固有の歴史・文化を復元模型や資料で紹介。
- 「一身田駅」から徒歩10分/「東一身田駅」から徒歩11分
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真宗高田派本山専修寺を中心に発展した一身田寺内町。壕や堀などで防御された自治都市で、現在もほぼ完全な形で環濠が残る。館内では、一身田寺内町における地域固有の歴史・文化を復元模型や資料で紹介。
伊勢本街道は飛鳥時代から大和と伊勢を結ぶ重要な道であった。後江戸時代には宿場町や伝馬所などが除々に整備され、奈良・榛原を経て伊勢に至る最短コースであったことから多くの旅人などが往来したが、険しい山道も多く旅人にも恐れられていた。このように街道沿いは当時の面影偲ぶ家並み、道標などが残っている。日本の街道百選、日本の峠百選などに認定されるなど素晴らしい景観が広がっている。
ピクニック広場にはバーベキューハウスがあり、多目的グラウンドではサッカーやソフトボールができる。テニスコートは軟式・硬式共利用できる。テニスコート1面1時間410円、多目的グラウンドは2時間まで620円、以降1時間毎310円。バーベキューハウス1棟1040円、管理棟(多目的室1室)4時間未満1040円、4時間以上2090円。市外の利用者は各利用料の2倍。
伊勢上野城は、標高40mの台地の上に造られた平山城で、織田信長の弟である信包[のぶかね]が永禄12年(1569)に津城の仮城としてここに居城を定め、天守台、本丸等を整備したものと考えられている。また、お市と茶々、初、江の浅井三姉妹が暮らしていたと言われている。現在は、本城山青少年公園として芝生広場やアスレチックも整備され、4月には花見、天守台跡の展望台や東屋からは伊勢湾が一望でき、家族連れで楽しめる。
日本初の本格的な五十音順国語辞典『和訓栞』[わくんのしおり]を著した谷川士清の生家。「つし2階建て」の質素な邸宅は、安永4年(1775)に建築または改装されたと推測されている。国の史跡指定を受けている。
昭和57年(1982)9月開館。現在、6000点を数える所蔵品は、三重県ゆかりの美術、日本近現代美術、西洋近現代美術、スペイン美術などにわたる。これらを年4期にわけて常設展示するほか、国内外の様々な美術を紹介する企画展を開催。柳原義達記念館、美術情報室、体験室、ファミリールームのほか、講堂やミュージアムショップなども併設している。
聖徳太子が建立したと伝わる4つの四天王寺のひとつ。織田信長、信包、お市の方の母であり、信包を頼って津城で過ごしていた土田御前が祭られている。穏やかな雰囲気の境内奥にひっそりと墓が立っている。
津市の西端にあるなだらかな山。頂上までのハイキングコースは地元客に人気。道中にある長谷寺には、朝鮮出兵の際に藤堂高虎が戦利品として持ち帰ったといわれる7体の石仏が安置されている。
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
白砂青松で有名な海岸と、遠浅の海が広がる。海水浴に人気だが、シーズン以外でもたて干しや潮干狩りなどを楽しむことができ、家族連れやカップルで賑わっている。
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