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真宗高田派本山専修寺を中心に発展した一身田寺内町。壕や堀などで防御された自治都市で、現在もほぼ完全な形で環濠が残る。館内では、一身田寺内町における地域固有の歴史・文化を復元模型や資料で紹介。
伊勢本街道は飛鳥時代から大和と伊勢を結ぶ重要な道であった。後江戸時代には宿場町や伝馬所などが除々に整備され、奈良・榛原を経て伊勢に至る最短コースであったことから多くの旅人などが往来したが、険しい山道も多く旅人にも恐れられていた。このように街道沿いは当時の面影偲ぶ家並み、道標などが残っている。日本の街道百選、日本の峠百選などに認定されるなど素晴らしい景観が広がっている。
伊勢上野城は、標高40mの台地の上に造られた平山城で、織田信長の弟である信包[のぶかね]が永禄12年(1569)に津城の仮城としてここに居城を定め、天守台、本丸等を整備したものと考えられている。また、お市と茶々、初、江の浅井三姉妹が暮らしていたと言われている。現在は、本城山青少年公園として芝生広場やアスレチックも整備され、4月には花見、天守台跡の展望台や東屋からは伊勢湾が一望でき、家族連れで楽しめる。
日本初の本格的な五十音順国語辞典『和訓栞』[わくんのしおり]を著した谷川士清の生家。「つし2階建て」の質素な邸宅は、安永4年(1775)に建築または改装されたと推測されている。国の史跡指定を受けている。
天正8年(1580)に織田信長の弟・信包[のぶかね]によって築かれた津城は藤堂高虎の入城によって大改修が行われ、明治維新まで藤堂氏の居城となった。現在は堀や櫓などが残り、庭園も造られている。平成29年(2017)4月には、公益社団法人日本城郭協会による「続日本100名城」にも選定された。
伊勢平氏ゆかりの地。平清盛の父、忠盛が生まれた時に、その胞衣が埋められた場所といわれる。長谷山へのハイキングコースの中間地点に位置し、塚を中心に公園が広がる。
母の病を治そうと禁漁区の阿漕浦[あこぎうら]で漁をし、処刑された親孝行息子の平治。その霊を慰めるために築かれた塚。
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