独立自尊の碑
慶應義塾の基本精神であり、福澤諭吉の代表的な言葉である「独立自尊」が刻まれた碑。明治37年(1904)、福澤諭吉三回忌にあたり福澤家の意思によって中津城公園内に建造された。瀬戸内海の小豆島で採掘した花崗岩を使用した高さ約13mもある大きな碑で、中津市指定有形文化財に登録されている。
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慶應義塾の基本精神であり、福澤諭吉の代表的な言葉である「独立自尊」が刻まれた碑。明治37年(1904)、福澤諭吉三回忌にあたり福澤家の意思によって中津城公園内に建造された。瀬戸内海の小豆島で採掘した花崗岩を使用した高さ約13mもある大きな碑で、中津市指定有形文化財に登録されている。
丘陵の中腹の斜面に浅い龕[がん]を造り、大小3つの如来坐像で構成。古園石仏とは異なった技法で製作され、表面には荒いノミ痕が残るが、邪気のない童顔で人気がある。
江戸時代、製蝋と掛屋で財をなした商家。なまこ壁が目を引く歴史ある建物で、178体のひな人形をはじめとした家宝を、雛祭りをはじめ年4回に分けて一般公開する。
大分県杵築市の北台武家屋敷跡に残る屋敷の一つ。江戸時代後期に藩の御用屋敷(休息所)として使われ、のちに家老・加藤与五右衛門の屋敷だったところ。
天正18年(1588)、黒田官兵衛孝高(如水)が、山国川河口の地に築城した海城。細川家、小笠原家の後、享保2年(1717)から奥平家の居城となり、廃藩置県まで統治した。奥平家は産業振興、蘭学振興等を行い、前野良沢や福澤諭吉などを輩出する土壌となった。現在の城は、昭和39年(1964)に奥平家が中心となって中津市民の協力のもと、再建したもので、五層の天守閣と二層の櫓から成り、一帯は中津城公園として整備されている。天守閣内部は奥平家歴史資料館として、徳川家康拝領の白鳥鞘の鑓や歴代当主の甲冑や古文書など数多くの奥平家所蔵の品々を展示。令和7年(2025)には、庭園デザイナー・石原和幸設計による“日本唯一の花城”としてリニューアル。アートフラワーが見事な天守閣内部をはじめ、庭園には一年中さまざまな花が咲き誇る。
鋸山山麓から入り、全長90mの乱雑な石段を登ると、絶壁に巨大な不動明王と大日如来の磨崖仏が鎮座する。どちらも7~8m級の半身像で、造立は藤原末期と推定。石仏としては国内最大級・最古のものだ。国の史跡と重要文化財に指定されている。
杵築市街の東端、守江湾に臨んで立つ。応永元年(1394)、木付[きづき]氏4代頼直[よりなお]が築城、江戸時代は松平氏が城主となった。3層の天守は昭和45年(1970)に建てられたもの。城内には鎧兜などが展示されている。また、天守からの海を望む景色は必見。杵築城跡が国史跡として指定された。
安政2年(1855)創業の薬種屋で薬「日本丸」を発売。江戸時代末期から昭和初期にかけ増改築を重ねた木造4層3階建ての建物で、江戸時代後期の水場(台所)や、奥座敷や展望楼が残る。百味ダンスなどの古い道具や当時の薬の広告などを展示。
仁聞菩薩により開基され、六郷満山の中山本寺として栄えた名寺の跡。山門跡に残る一対の仁王像や1000基を超える五輪塔群が、時の流れを伝える。新緑や紅葉シーズンには、写真スポットとして人気がある。
慶長7年(1602)、日出藩初代藩主木下延俊が築城。城を囲む苔むした石垣や堀、松並木などを別府湾の景色とともに楽しめる。本丸下の海中、真清水が湧く一帯は城下かれいで知られるマコガレイの生息地だ。
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