柞原八幡宮
平安初期の天長4年(827)を創建の起源とし、「豊後一の宮」とされ国司・武家などが崇敬した由緒ある神社。約2万5000坪の境内の深い森の中に鎮座する社殿は嘉永年間に再建された壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国指定重要文化財に指定されている。元和9年(1623)再建の南大門には古今の聖人や花鳥風月および二十四孝が刻まれ、日暮し門と呼ばれている。門の横に聳え立つ御神木の大楠は樹齢3000年と伝えられ、国指定天然記念物。
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平安初期の天長4年(827)を創建の起源とし、「豊後一の宮」とされ国司・武家などが崇敬した由緒ある神社。約2万5000坪の境内の深い森の中に鎮座する社殿は嘉永年間に再建された壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国指定重要文化財に指定されている。元和9年(1623)再建の南大門には古今の聖人や花鳥風月および二十四孝が刻まれ、日暮し門と呼ばれている。門の横に聳え立つ御神木の大楠は樹齢3000年と伝えられ、国指定天然記念物。
ソメイヨシノやヤエザクラが咲く桜の名所として有名。展望台からは大分市・別府湾が一望できる。大分縣護國神社には慰霊碑や西南戦争で亡くなった軍人や警官の墓地などがある。
初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
境内奥の岩壁に刻まれた、高さ8mとも12mとも言われる全国最大級の磨崖仏。中央に不動明王像、両脇にはセイタカ童子やコンガラ童子なども彫られている。6月下旬~7月上旬には2000株ものアジサイが咲く。
36坊の霊場を有し、国東最大の寺院だった。国の重要文化財に指定された9体の木造仏像の傑作が安置され、往時の隆盛を偲ばせる。白牛にまたがる大威徳明王像や不動明王像、四天王像などがずらりと並ぶ姿は見応え充分だ。
養老2年(718)創建と伝えられる天台宗の古刹で、六郷満山[ろくごうまんざん]の本山末寺。大堂(国宝)は平安後期の作、カヤの白木造りで九州最古の木造建築だ。極楽浄土を描いた壁画(重要文化財)保護のため、雨天時は見学不可なので注意。宇治平等院鳳凰堂(京都府)、平泉中尊寺金色堂(岩手県)と並ぶ阿弥陀堂の一つ。
文殊山の中腹に位置する古刹。大化4年(648)の創建と伝えられ、のち六郷満山末山本寺として栄えた。鬱蒼とした杉林の参道から境内に抜けると、力強い仁王像が姿を見せる。さらに300段の石段を登りきった場所が奥の院。本尊は文殊菩薩で、12年に1度開帳。
全国に4万余社ある八幡社の総本宮。神亀2年(725)応神[おうじん]天皇の御神霊、八幡大神を祀る本殿の一之御殿が創建されたことが始まりと伝わる。太古からの原生林に囲まれた境内には八幡造の3棟の本殿(国宝)をはじめ、神橋、呉橋[くれはし]、能楽殿、宝物館など貴重な建築物が立ち並ぶ。10年に一度、皇室から勅使を迎える臨時奉幣祭も斎行。
養老2年(718)創建。子授けの寺として名高く、仏の里巡りには欠かせない存在。国東半島の両子山中腹にあり、無明橋を渡ると2体の仁王像が出迎える。護摩堂には、厄除けや安産にご利益があるという不動明王や奥の院には子授けにご利益のある十一面千手観音などが祀られている。紅葉の名所。
鋸山山麓から入り、全長90mの乱雑な石段を登ると、絶壁に巨大な不動明王と大日如来の磨崖仏が鎮座する。どちらも7~8m級の半身像で、造立は藤原末期と推定。石仏としては国内最大級・最古のものだ。国の史跡と重要文化財に指定されている。
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