
九頭竜ダム
九頭竜川の上流に造られた発電用ダム。3年の歳月をかけ、昭和43年(1968)に完成した。高さ128m、長さ355mという大きさは岩を積み上げて造られたロックフィル式としては日本有数の規模を誇る。このダムの完成により上流にできたのが面積8.9平方kmの九頭竜湖。瀬戸大橋のテストケースとして架けられたと言われる吊橋・箱ケ瀬橋が周辺の自然に溶け込んでいる。湖岸沿いを走る国道158号は格好のドライブコース。特に桜や新緑・紅葉の季節が美しく、夢のかけはしからの眺めは絶景だ。
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九頭竜川の上流に造られた発電用ダム。3年の歳月をかけ、昭和43年(1968)に完成した。高さ128m、長さ355mという大きさは岩を積み上げて造られたロックフィル式としては日本有数の規模を誇る。このダムの完成により上流にできたのが面積8.9平方kmの九頭竜湖。瀬戸大橋のテストケースとして架けられたと言われる吊橋・箱ケ瀬橋が周辺の自然に溶け込んでいる。湖岸沿いを走る国道158号は格好のドライブコース。特に桜や新緑・紅葉の季節が美しく、夢のかけはしからの眺めは絶景だ。
城下町大野のシンボル。織田信長の家臣・金森長近[かなもりながちか]が天正4年(1576)頃から築いた平山城で、安永4年(1775)の大火で本丸を焼失したが、寛政6年(1795)に再建。明治初年(1868)に取り壊された。野面積[のづらづみ]といわれる技法で造られた石垣だけは当時のまま残っている。現在の天守は昭和43年(1968)に再建されたもので、内部には歴代城主の遺品や古文書などを展示。最上階からは眼下に大野の町並み、遠くには白山連峰が眺められる。“天空の城”といわれるだけに、秋から春にかけて雲海が市街を包み込む早朝には朝霧の中に浮かび上がる情景は幻想的。
地元のボランティアグループによる人力車で、碁盤の目状の城下町を廻ろう。人力車の乗り心地がわかる短時間の「人力車体験コース」、閑静な寺町通り、朝市の七間通りと石畳の歴史の路を通り抜けて、大野の歴史を知ってもらう「歴史の路体験コース」、歴史の路コースに御清水をプラスした「まちなか観光コース」から選べる。
牧場や湿原が広がるのどかな六呂師高原にある体験施設。奥越高原牧場の生乳を用いて、手作りアイスやカッテージチーズ、バターの加工体験670円ができる。
弁天緑地と、残雪の加越国境の山並にマッチした桜並木が美しい。九頭竜川のそよ風にふかれながらの花見は最高。桜が満開の4月上旬~中旬頃には、売店が出る弁天桜まつりが開催される。また、弁天桜まつりの前後1週間はぼんぼりが灯り、風情ある夜桜を楽しむことができる。4月上旬より九頭竜川を横断して掲げられる鯉のぼりとの共演も見所。
白山を開いた泰澄大師が、養老元年(717)に創建した古社。48社36堂の6000坊の坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院庭園[きゅうげんじょういんていえん]が残る。菩提林[ぼだいはやし]とよばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、「日本の道百選」にも選ばれている。日本遺産。
昭和62年(1987)の創建。大仏殿に安置された越前大仏は身の丈17mと、奈良東大寺の大仏を上回る大きさだ。中国洛陽市の郊外にある龍門石窟の坐像をモデルに造られたもので、両側には羅漢像、菩薩像が鎮座する。また、北京市にある中国の国宝・九龍壁を模した九龍殿の装飾壁も見ておきたい。
平成4年(1992)に開館した天守の形をした登録博物館。6階展望室からは、旧石器時代からの歴史をもつ勝山の風景や、日本ジオパークにも登録されている美しい自然が見渡せる。大名武具や合戦図屏風のコレクションのほか、書家西脇呉石の関連作品も収蔵・展示している。甲冑の常設展示は北陸随一の規模。
恐竜博物館やスキージャム勝山に近く、夏場は近郊の山々の登山帰り、冬場はスキー帰りに立ち寄る人も多い温泉施設。刺激の少ないなめらかな肌ざわりの湯は、筋肉痛にも効果的なのでスポーツの後にはうってつけだ。食事のみでも利用できる。
創業は明治35年(1902)。一本義とは、かつて勝山小笠原藩の御用酒として命名されていた酒名で、禅語「第一義諦」に由来。酒造りには、霊峰白山の伏流水を仕込み水に使用している。
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