
厳島神社
明神池畔に立つ神社で、漁業の守り神として信仰が厚い古社。貞享3年(1686)に安芸の厳島明神を勧請した古社で、航海安全と豊漁の神として信仰が厚い。明神池の魚は、大漁祈願の漁師がここに奉納した魚が繁殖したものだ。境内奥には風穴がぽっかりと口を開け、流れ出す風は夏もひんやりと涼しい。
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明神池畔に立つ神社で、漁業の守り神として信仰が厚い古社。貞享3年(1686)に安芸の厳島明神を勧請した古社で、航海安全と豊漁の神として信仰が厚い。明神池の魚は、大漁祈願の漁師がここに奉納した魚が繁殖したものだ。境内奥には風穴がぽっかりと口を開け、流れ出す風は夏もひんやりと涼しい。
慶長9年(1604)に毛利輝元が築いた城。指月山麓の平城[ひらじろ]と山頂の山城[やまじろ]を併せた平山城で、本丸には5層の天守があったが、明治7年(1874)にすべての建物を解体。現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめている。旧本丸跡は指月公園として整備されており、春は600本余の桜の名所として親しまれている。萩でしか見ることのできない珍しい桜、天然記念物ミドリヨシノは必見。
陶芸作家宮田佳典さんが登り窯で焼き上げる作品が並ぶ。萩焼の中でも鬼萩と呼ばれる荒々しい風合いを持つ土を使った作品が中心で、独特の肌を楽しめる。
萩駅の西にある毛利家の菩提寺。萩藩初代藩主毛利秀就[もうりひでなり]と、2~12代の偶数代藩主を祀る。藩主夫妻の墓前には、重臣らが献上した603基の石灯籠が整然と並び、荘厳な雰囲気。書院には鎌倉末期に作られた檜の寄木造、玉眼に水晶入りの赤童子[あかどうじ]立像(重要文化財)が安置され、庭園から拝観できる。5月上旬には藤が開花し、彩りを添える。
標高499mの伏馬山の山頂にある。近くには、牧場やカブトムシ・クワガタムシを展示販売する「昆虫王国」、夏には満開のひまわり畑が続くひまわりロードがある。6月15日~9月14日開設。
松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進[たまきぶんのしん]が開いた私塾。もともとは松陰の実家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なもの。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた幽囚室から通算2年余りだが久坂玄端[くさかげんずい]、高杉晋作、伊藤博文など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出した。
安政5年(1858)に萩藩が鉄製の大砲製作のために建設した、西洋式金属溶解炉(史跡)。本体は解体され、下部が玄武岩、上部がレンガ積みの高さ11.5mの煙突だけが残る。薩摩藩や水戸藩などがあいついで建設したが、現存するのは、ここと静岡県伊豆韮山の2基のみだ。
北長門海岸国定公園内にあり、国指定史跡の萩城跡から萩湾に沿って、浜崎商港まで続く白砂青松の海岸。砂浜からは国指定天然記念物の「指月山」、沖合には笠山や多くの島々を眺めることができる絶好のロケーション。「快水浴場百選」に選ばれており、美しい夕景も絶景。海水の透明度が高く、海水浴シーズンはファミリーなどで賑わう。
指月公園内にあり、標高143m、すっきりとした円錐型をした山。うっそうと茂る樹林は、藩時代に城内林として保護されていたため巨木が多く、幹回り5mを越すクスノキや樹齢600年以上の古木が見られ、天然記念物に指定されている。萩城詰丸の石垣や矢倉跡が残る山頂へは、志都岐山神社から20分ほど。晩秋は自生北限地とされるサザンカが美しい。
萩城跡の入口近くにある資料館。萩藩主の御用窯として開かれ、今も多くの窯元がある萩焼。約400年前の毛利藩御用窯の時代の古萩と呼ばれる名器や初代坂高麗左衛門作の名品など数百点を所蔵、展示している。萩焼の販売も行っている。
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