萩焼会館
萩焼を見て触れて楽しめる観光施設。館内ショップではモダンなテーブルウェアから格式高い茶道具まで幅広い萩焼を手に取って選べる。絵付けや手びねりの陶芸体験ができる工房や、萩焼を使ったランチなどを楽しめるカフェも併設。名産品も取り揃えてあり、旅の土産選びにも便利。
- 「東萩駅」から徒歩13分
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萩焼を見て触れて楽しめる観光施設。館内ショップではモダンなテーブルウェアから格式高い茶道具まで幅広い萩焼を手に取って選べる。絵付けや手びねりの陶芸体験ができる工房や、萩焼を使ったランチなどを楽しめるカフェも併設。名産品も取り揃えてあり、旅の土産選びにも便利。
菊ヶ浜の東にある高さ3m、幅12m、長さ50mほどの土塁。文久3年(1863)5月の攘夷決定の日、長州藩は下関の馬関[ばかん]砲台から外国船を砲撃したが、大反撃を受けて敗退。地元への報復を恐れた藩は、菊ヶ浜に土塁を築いた。現在残るのはその一部。築塁には留守を守っていた多くの女性が参加したため「女台場」とよばれている。
山県有朋は天保9年(1838)に生まれ、松下村塾に学び、高杉晋作率いる奇兵隊に参加、軍監となり頭角を現して、数々の戦いで戦功を立てる。明治維新後は陸軍大輔となって近代陸軍の基礎づくりに尽力。後に明治政府の高官となり、首相2回、枢密院議長などを歴任した。誕生地である橋本川畔の一角に、大きな石碑が立っている。
平成22年(2010)10月に、萩市では初めての高杉晋作の銅像が登場。以来、多くの観光客、幕末ファンが立ち寄る公園となっている。
JR萩駅の南2kmほどの位置にある梅林園。江戸への参勤交代にも使われた街道・萩往還(県道32号)沿いにあり、平成4年(1992)に、吉田松陰の生誕160周年を記念して開園。約1万平方mの園内には、1月下旬から咲き始める紅梅で八重咲きの緋の司や蓮久、白梅の「豊後」や「白牡丹」など、13種類、約250本の梅のほか、ヤブツバキやサザンカ、ツツジなども植栽。梅は1月下旬から3月中旬にかけて長い期間に開花。池や東屋が配された園内は、遊歩道も整備されてゆっくりと散策が楽しめる。
文政9年(1826)、磁器製作に始まった歴史ある窯元で、独自の粘土や釉薬を使い伝統的な萩焼を継承。現在は文化功労者・吉賀大眉[よしかたいび]氏の孫、吉賀暁[あきら]が継ぐ。登り窯や蹴りろくろ工房が見学でき、陶芸体験も受付ている。萩焼のすべてにふれられるのが魅力。
萩藩士として大組(300石)に属していた奥平家の表門は、市の指定有形文化財になっている。建築技法などから19世紀初頭のものとされ、全体の門構えや出格子など往時の形態をよく残している。西に面した表門は寄棟造、桟瓦葺きで、桁行約28m、梁間5mの長い建物。道路に面した西側には4カ所の出格子窓があり、腰部は下見板張り、上部は外大壁。外観のみ見学可。
幕末の当時、日本屈指の蘭学医であった青木周弼は、13代藩主・毛利敬親[もうりたかちか]に召し出され、敬親の侍医を務めた人物。周弼宅には、全国から教えを乞う門下生が続々と集まったため、安政6年(1859)にこの家が新築された。
指月公園内にあり、標高143m、すっきりとした円錐型をした山。うっそうと茂る樹林は、藩時代に城内林として保護されていたため巨木が多く、幹回り5mを越すクスノキや樹齢600年以上の古木が見られ、天然記念物に指定されている。萩城詰丸の石垣や矢倉跡が残る山頂へは、志都岐山神社から20分ほど。晩秋は自生北限地とされるサザンカが美しい。
菊屋家は毛利輝元に従って山口から移ってきた藩の御用商人で、大年寄格でもあった家。江戸初期に建てられたという主屋は広い座敷をもち、幕府からの使者が泊まる本陣として使われた。5470平方mという広い敷地内にはなまこ壁の蔵が立ち並び、主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場などが国の重要文化財に指定されている。各部屋には藩主からの拝領品や古書、民具、衣装など約500点を展示。家の西側のなまこ壁が美しい小路は、菊屋横丁とよばれ「日本の名道100選」に選定されている。
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