
余呉湖
賤ケ岳の北に位置する周囲約6.4kmの湖。羽衣伝説が残る地として知られ、水面が穏やかで周辺の山々を映すことから「鏡湖[きょうこ]」とも呼ばれている。ヨゴイチサイクリングやバードウォッチングが楽しめる。コイやフナ釣りのほか、冬はワカサギ釣りもできる。
- 「余呉駅」から徒歩24分
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賤ケ岳の北に位置する周囲約6.4kmの湖。羽衣伝説が残る地として知られ、水面が穏やかで周辺の山々を映すことから「鏡湖[きょうこ]」とも呼ばれている。ヨゴイチサイクリングやバードウォッチングが楽しめる。コイやフナ釣りのほか、冬はワカサギ釣りもできる。
奥琵琶湖パークウェイの出口に位置し、古代から奥琵琶湖を望む景勝の地として愛でられてきた。古くは「鐘引坂」[かねひきさか]と呼ばれ、山と湖が織りなす美しい風景は、南北朝時代に編纂された『新拾遺和歌集』にも詠まれている。菅浦→岩熊方面の一方通行規制あり。
茶道や造園で有名な小堀遠州の菩提寺。息子・宗慶が承応2年(1653)に建立した。滋賀県名勝の池泉と枯山水の複合庭園があり、自然との調和が美しい。晩秋の紅葉も見事。
石田会館の東側にある石田神社には、三成一族と家臣の供養塔をはじめ、三成自筆の和歌や三成の辞世の碑が立つ。
大箕山[だいきさん]山中にある真言宗の寺。余呉湖に残る伝説の天女が産んだ子といわれる菅原道真が、京に上る11才まで勉学に励んだと伝えられている。山門の前には道真が植えたという樹齢1000余年、高さ約15mのケヤキの大木がそびえている。
湖北から京都へと物資を運ぶ丸子船で栄えた、塩津浜に残る天保5年(1834)に建てられた常夜燈。その風格ある佇まいは、今も当時の面影を色濃く残している。
浅井氏の居城として栄えた小谷城。日本五大山城の一つとして知られ、今もなお山上には城の遺構が残り、ふもとの清水谷には浅井氏や家臣団の屋敷があったという。国の史跡に指定されている。
正式には真宗大谷派本願寺別院と呼ばれ、慶長2年(1597)に地元出身の郷士大村刑部らが教如上人[きょうにょしょうにん](東本願寺開創の上人)のために堂宇を建立したことに始まる。延宝2年(1674)建立の表門(重要文化財)、入母屋造[いりもやづくり]の本堂(重要文化財)をはじめ、教如上人の分骨を納めた廟所、鐘楼などがある。
元亀元年(1570)、約3万の兵力を誇った織田信長・徳川家康連合軍に対して、1万8000人の浅井長政・朝倉景健[かげたけ]連合軍が挑んだ。姉川付近で激闘が繰り広げられ、結果は信長の勝利に終わった。現在の野村橋が架かる姉川一帯は血に染まったといわれ、今も供養塔が残る。多数の戦死者を出した浅井方はこの戦いの後、天正元年(1573)の小谷城落城とともに終焉を迎えることになる。
真宗大谷派本願寺別院大通寺は、「ごぼうさん」の名で親しまれている。桃山建築の本堂(重要文化財)と大広間(重要文化財)、伊吹山を借景にした枯山水庭園の含山軒[がんざんけん]庭園(名勝)、狩野山楽・山雪を代表として狩野派の画家が描いた障壁画などみどころが多い。
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