日光東照宮 唐門
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
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東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
東照宮境内にある三神庫[さんじんこ](重要文化財)のひとつ、上神庫[かみじんこ]の妻に施された彫刻が東照宮三彫刻の一つ想像の象。当時、象は誰も直接見たことがない想像上の動物であったため、いま見ると少々姿は違うが、想像だけで彫られたことを考えれば、驚かされる。
東照宮見学のハイライトである陽明門は、高さ11.1m、正面7m、側面4.4mの全ての面に江戸初期の装飾技術を集結させた彫刻を施している。極彩色で装飾されている2層の楼門は、1日中見ていても見飽きないことから日暮門[ひぐらしもん]の異名をもつ。12本の円柱が支えるため十二脚門ともよばれる。明治維新まで庶民がこの門を通ることは許されておらず、武士は刀を預け、勅使でさえも装束を改めたという。
男体山(二荒山)の主神大己貴命[おおなむちのみこと]と、女峰山の神、田心姫命[たごりひめのみこと]と、太郎山の神、味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]を祀る。勝道上人の開創とされ中宮祠は中禅寺湖畔に、奥宮は男体山頂上にあり、本宮神社、滝尾神社は別宮。もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。南北朝期の大太刀など国宝に指定される宝物も所蔵。拝殿の左手、神苑には、化燈籠[ばけとうろう]や大国殿などがある。
自然に恵まれた広大な公園。ピクニックやキャンプ、フィールドアスレチック施設のほか、ニュースポーツ広場、レストランなど充実している。ほか、体験教室や地元野菜の直売所などの施設も。小学生以上からが利用できるフィールドアスレチックのアスレチック遊具は、地域に生息する虫や鳥、動物の名前が付いていて、姿や生態、行動をイメージして作られている。また、ちびっこ広場、芝生や池・丘、だいや体験館では「日光東照宮1/10模型」の常設展示(見学無料・撮影可)もある。
中禅寺湖から流れる水が、高さ97mの絶壁から落下する大滝で、袋田の滝・那智の滝と並ぶ日本三名瀑の一つとされる。滝上にも観瀑台はあるが、エレベーターで下りて正面から滝壷付近を眺めたい。水しぶきを上げながら、轟音とともに流れ落ちる滝の姿は豪快そのもの。新緑、紅葉、冬場と、四季ごとに変わる景観がみごとだ。
駐車場から横断歩道で西側に渡ってすぐのところにあり、標高約1400mに広がる戦場ケ原と男体山、太郎山などを一望できる。周辺には木道もあり、散策も楽しめる。
昭和3年(1928)~平成9年(1997)まで使われたイタリア大使館の別荘を復元し公開。副邸では明治中頃~昭和初期に国際避暑地として発展した中禅寺湖の歴史を紹介。静かで湖の眺めがよい。1階の「Caffe Como」ではコーヒーやクッキーなどを楽しめる。所要30分。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
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