日光東照宮 五重塔
東照宮入口に立つ一ノ鳥居をくぐったすぐ左手に立つ、高さ約36mの朱塗りの塔。慶安3年(1650)、酒井忠勝公から奉納されたが、落雷により焼失。文政元年(1818)、再び酒井家の手によって再建され現在の姿となった。各屋根の二重垂木は4層までがまっすぐな和様、5層目のみ扇形に広がる唐様になっている。初層に施された十二支の彫刻は必見。
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東照宮入口に立つ一ノ鳥居をくぐったすぐ左手に立つ、高さ約36mの朱塗りの塔。慶安3年(1650)、酒井忠勝公から奉納されたが、落雷により焼失。文政元年(1818)、再び酒井家の手によって再建され現在の姿となった。各屋根の二重垂木は4層までがまっすぐな和様、5層目のみ扇形に広がる唐様になっている。初層に施された十二支の彫刻は必見。
東照宮境内にある三神庫[さんじんこ](重要文化財)のひとつ、上神庫[かみじんこ]の妻に施された彫刻が東照宮三彫刻の一つ想像の象。当時、象は誰も直接見たことがない想像上の動物であったため、いま見ると少々姿は違うが、想像だけで彫られたことを考えれば、驚かされる。
二荒山神社の拝殿の西側、神輿舎[しんよしゃ]の左隣にある小さな神社。本殿は間口、奥行きともに1.8mと質素なもので、正面が入母屋造、背面が切妻造、銅瓦葺き。嘉祥元年(848)に慈覚大師[じかくだいし]によって建立されたという。
女峰山の女神、田心姫命を祀る二荒山神社の別宮。本社から北西に約1km、杉並木の探勝路を進むとたどり着く。参拝のあとは、白糸の滝や運試しの鳥居、樹齢250~300年の滝尾三本杉などもチェックしておきたい。
東照宮境内、坂下門をくぐり、杉の老木が茂る荘厳な雰囲気の中、207段の急な石段を上ると、鳥居が見える。ここからが奥社で、黒漆塗りの拝殿の後ろに、徳川家康が眠る高さ5mの金、銀、銅を合金した唐銅製の宝塔が安置されている。
東照宮大造替の際に建てられたもので、表門をくぐり右側から正面に鉤の手状に並んでいる。東大寺の正倉院と同じ校倉造[あぜくらづくり]、朱塗りの3棟の建物だ。手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束が収納されている。上神庫の妻には、黒と白の「想像の象」といわれる彫刻が飾られており、東照宮三彫刻の一つ。
男体山(二荒山)の主神大己貴命[おおなむちのみこと]と、女峰山の神、田心姫命[たごりひめのみこと]と、太郎山の神、味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]を祀る。勝道上人の開創とされ中宮祠は中禅寺湖畔に、奥宮は男体山頂上にあり、本宮神社、滝尾神社は別宮。もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。南北朝期の大太刀など国宝に指定される宝物も所蔵。拝殿の左手、神苑には、化燈籠[ばけとうろう]や大国殿などがある。
細やかな装飾が美しい、輪王寺大猷院の拝殿前に立つ霊廟の正門。大猷院の中では最小だが、柱に金箔を施し、きらびやか。左右に延びる透塀は精巧な細工が施されており、優美で繊細な印象を与える。
輪王寺所管の堂塔は神仏習合の地である山内一円に散在している。平安時代に朝廷から一山の総号として満願寺[まんがんじ]の名を賜り、後に、円仁[えんにん]の来山により天台宗となった。鎌倉時代には皇族座主が始まり、以後も日光三所権現信仰の中心として栄えた。比叡山延暦寺[ひえいざんえんりゃくじ]、東叡山寛永寺[かんえいじ]と並び、天台宗三本山の一つに数えられ、大般涅槃経集解59巻は国宝。明治時代の神仏分離令によって、一時は満願寺に復称となったが、明治16年(1883)に寺号復活し、今日の輪王寺になった。
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
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