日光東照宮 奥社
東照宮境内、坂下門をくぐり、杉の老木が茂る荘厳な雰囲気の中、207段の急な石段を上ると、鳥居が見える。ここからが奥社で、黒漆塗りの拝殿の後ろに、徳川家康が眠る高さ5mの金、銀、銅を合金した唐銅製の宝塔が安置されている。
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東照宮境内、坂下門をくぐり、杉の老木が茂る荘厳な雰囲気の中、207段の急な石段を上ると、鳥居が見える。ここからが奥社で、黒漆塗りの拝殿の後ろに、徳川家康が眠る高さ5mの金、銀、銅を合金した唐銅製の宝塔が安置されている。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
女峰山の女神、田心姫命を祀る二荒山神社の別宮。本社から北西に約1km、杉並木の探勝路を進むとたどり着く。参拝のあとは、白糸の滝や運試しの鳥居、樹齢250~300年の滝尾三本杉などもチェックしておきたい。
東照宮見学のハイライトである陽明門は、高さ11.1m、正面7m、側面4.4mの全ての面に江戸初期の装飾技術を集結させた彫刻を施している。極彩色で装飾されている2層の楼門は、1日中見ていても見飽きないことから日暮門[ひぐらしもん]の異名をもつ。12本の円柱が支えるため十二脚門ともよばれる。明治維新まで庶民がこの門を通ることは許されておらず、武士は刀を預け、勅使でさえも装束を改めたという。
輪王寺大猷院本殿の西側に位置し、透塀をはさむ形で立つ美しい門。中国・明朝の建築様式で造られたもので、その形から「竜宮門」の別名をもつ。この門の奥が家光の墓所にあたる奥の院になっている。極彩色で彩られ、白漆喰の壁に大猷院の基調となる黒と金が際だっている。
湯西川で温泉が発見された天正年間(1573~1592)、湯の守神として出羽三山の羽黒山から土を移して建てられた湯西川の総鎮社。6月始めに開催される「平家大祭」の出陣式が行われるほか、8月中旬に開催される例祭の湯殿山大祭礼では、集落挙げて賑わう。
輪王寺所管の堂塔は神仏習合の地である山内一円に散在している。平安時代に朝廷から一山の総号として満願寺[まんがんじ]の名を賜り、後に、円仁[えんにん]の来山により天台宗となった。鎌倉時代には皇族座主が始まり、以後も日光三所権現信仰の中心として栄えた。比叡山延暦寺[ひえいざんえんりゃくじ]、東叡山寛永寺[かんえいじ]と並び、天台宗三本山の一つに数えられ、大般涅槃経集解59巻は国宝。明治時代の神仏分離令によって、一時は満願寺に復称となったが、明治16年(1883)に寺号復活し、今日の輪王寺になった。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
二荒山神社の拝殿の西側、神輿舎[しんよしゃ]の左隣にある小さな神社。本殿は間口、奥行きともに1.8mと質素なもので、正面が入母屋造、背面が切妻造、銅瓦葺き。嘉祥元年(848)に慈覚大師[じかくだいし]によって建立されたという。
輪王寺大猷院の正門。高さ3m20cmの密迹金剛[みっしゃくこんごう]と那羅延金剛[ならえんこんごう]の2体の仁王像が左右に安置され、門を守っている。
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