日光東照宮 唐門
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
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東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
二荒山神社の神苑内(有料)にある大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀った宝形造[ほうぎょうづくり]の建物。大黒天と同一視され、招福の神として親しまれている。内部には大国像や日光招き大国、宝刀などが納められている。毎月第2土曜(6・12月除く)には大国殿の縁日があり、6月の第1土・日曜には「だいこくまつり」が開催される。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
東照宮内の神厩舎を過ぎた、参道の曲り角にある清楚な雰囲気の建物。元和4年(1618)、佐賀藩主・鍋島勝茂による奉納で、唐破風銅板葺きの豪華な屋根を12本の花崗岩の角柱で支えている造りが特徴。当時としては画期的なサイフォンの原理を応用し、花崗岩でできた水盤から常に水が噴き出る仕組みになっている。飛龍と立波の透彫や鯉など、すべて水にちなんだ彫刻ばかり施されている。
東照宮境内へと続く一ノ鳥居前の石段の10段目、中央の敷石を指す。斜めに分かれた茶と青の色の違いが強まると、翌日から天気が崩れるといわれている。
二荒山神社神苑内(有料)にある、大谷川[だいやがわ]の巨石や銘石で組まれた霊泉。本殿後ろの恒霊山[こうれいざん]の洞窟から湧き出る、眼病に効くという「薬師の水」と、滝尾神社の境内、天狗沢のほとりに湧き出る名水「酒の泉」が集まる。すぐそばには、お休み処あずまやがあり、霊泉の水で作った甘酒300円や、コーヒー、抹茶400円でひと息つくのもよい。霊水持ち帰り用のポリ容器300円も販売されている。
嘉祥元年(848)、慈覚大師による創建と伝えられる。二荒山神社の大鳥居前に立つ堂で、向かって左側が常行堂[じょうぎょうどう]、右側が法華堂[ほっけどう]。どちらも宝形造総朱塗りの建物で、2つの堂宇は橋廊下でつながる。このような形式を担い堂[にないどう]ともよび、他では比叡山などでしか見ることができない。公開は常行堂のみ。
細やかな装飾が美しい、輪王寺大猷院の拝殿前に立つ霊廟の正門。大猷院の中では最小だが、柱に金箔を施し、きらびやか。左右に延びる透塀は精巧な細工が施されており、優美で繊細な印象を与える。
延暦3年(784)、勝道上人が創建。二荒山大神を祭る。男体山山頂にある奥宮と山内にある本社の中間に位置するので、中宮祠の名前が付いた。本殿や唐門のほか数多くの建造物があり、本殿右側には山頂参拝への登拝門がある。山頂奥宮までの登山(4月25日~11月11日の間のみ可)は往復約8時間。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
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