
輪王寺 相輪とう
輪王寺三仏堂の後方にある、高さ13mの青銅製の供養塔。寛永20年(1643)、徳川3代将軍家光公の命を受け、天海大僧正が比叡山の相輪とうにならって建立したといわれる。とう内には1000部の経典を収蔵。4本の副柱に支えられた塔身には24個の金鈴と金瓔珞[ようらく]の装飾が施され、この鈴風にあたると、人間はもちろん鳥獣草木に至るまで仏の功徳を受けられるといわれる。
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輪王寺三仏堂の後方にある、高さ13mの青銅製の供養塔。寛永20年(1643)、徳川3代将軍家光公の命を受け、天海大僧正が比叡山の相輪とうにならって建立したといわれる。とう内には1000部の経典を収蔵。4本の副柱に支えられた塔身には24個の金鈴と金瓔珞[ようらく]の装飾が施され、この鈴風にあたると、人間はもちろん鳥獣草木に至るまで仏の功徳を受けられるといわれる。
東照宮境内、陽明門の前に並び立つ櫓造の2棟の建物で、寛永の大造替の時に建てられた。左側が太鼓を置く鼓楼、右側が鐘を吊るす鐘楼で、江戸時代には、祭の始めに太鼓を、終わりには鐘を打っていたという。また、鐘楼の近くには、オランダから献上されたと伝えられる蓮燈籠[はすどうろう]と朝鮮から奉納されたという朝鮮鐘、鼓楼付近にもオランダから贈られた回転燈籠と釣燈籠があり、いずれも当時の各国との友好親善の象徴となっている。
二荒山神社神苑内(有料)にある、大谷川[だいやがわ]の巨石や銘石で組まれた霊泉。本殿後ろの恒霊山[こうれいざん]の洞窟から湧き出る、眼病に効くという「薬師の水」と、滝尾神社の境内、天狗沢のほとりに湧き出る名水「酒の泉」が集まる。すぐそばには、お休み処あずまやがあり、霊泉の水で作った甘酒300円や、コーヒー、抹茶400円でひと息つくのもよい。霊水持ち帰り用のポリ容器300円も販売されている。
二荒山神社神苑内(有料)の二荒霊泉の手前奥、杉の巨木に囲まれて立つ神社。祭神は知恵の神とされる少彦名命[すくなびこなのみこと]。また、神社の隣には良縁の守護神といわれている縁結び笹がある。男女の良縁をはじめ、仕事や友人などあらゆる良縁に恵まれるといわれている。
東照宮内、拝殿の前に立つ本社の正門である唐門から、左右に延びた透かし彫りを施した塀(国宝)。黒漆に金の装飾金具を施した、黒を基調にした気品ある優美なたたずまいと、平和を象徴する野鳥や水鳥の透かし彫り彫刻がみられる。
東照宮には121基の燈籠があるが、中でも有名な燈籠がこれ。伊達政宗公がポルトガルから取り寄せた、南蛮鉄で鋳造させたといわれる2基の燈籠。経蔵の前、陽明門へ向かう石段の右横に位置し、反対側には薩摩藩主・島津家久公が奉納した唐銅[からがね]燈籠が立っている。ちょうど陽明門を南北の大藩が固める形になり、当時の徳川幕府の権力の強大さがうかがえる。
延暦9年(790)、勝道[しょうどう]上人が日光に神霊を求めて初めて小さな祠を建てた、二荒山[ふたらさん]神社発祥の地。社殿は江戸時代の再建だが、本殿奥の扉を開いて遠くご神体の山を拝むという山岳信仰の形式をとどめている。本殿、唐門・透塀は重要文化財。
輪王寺三仏堂の後方にある朱塗りの小さな堂。毘沙門天、大黒天、弁財天の開運三天が祀られている(現在は護摩堂に安置)。
輪王寺大猷院の仁王門をくぐり、石畳の広場の右側にある水舎。現在はほとんど消えているが天井には狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]による龍が描かれている。その龍が水盤に映し出されることから、「水鏡の竜」ともよばれる。
石段の上に立つ楼門で、日光山内最大とされる。門の上部には後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の筆による「大猷院」の額が掲げられ、軒下には彩色豊かな装飾が施されている。名前の由来は、四天王のうちの表に祭ってある持国天と広目天から。
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