
日光東照宮 二ノ鳥居
東照宮境内、御水舎と経蔵の間にある、高さ6m、青銅製の鳥居。寛永の大造替の際に、家光が建立した。鳥居の下部には仏教様式に多く見られる蓮華が刻まれ、神仏習合の地、日光らしい。また、この辺りから眺める境内は、陽明門を正面に、美しく左右均等に配された見事な構図で、素晴らしい景観を生み出している。
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東照宮境内、御水舎と経蔵の間にある、高さ6m、青銅製の鳥居。寛永の大造替の際に、家光が建立した。鳥居の下部には仏教様式に多く見られる蓮華が刻まれ、神仏習合の地、日光らしい。また、この辺りから眺める境内は、陽明門を正面に、美しく左右均等に配された見事な構図で、素晴らしい景観を生み出している。
二荒山神社楼門の次にあり、東側の入口にあたる鳥居。現在のものは、寛政11年(1799)に造り替えられたもの。足元には仏式を思わせる蓮華が刻まれている。
石段の上に立つ楼門で、日光山内最大とされる。門の上部には後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の筆による「大猷院」の額が掲げられ、軒下には彩色豊かな装飾が施されている。名前の由来は、四天王のうちの表に祭ってある持国天と広目天から。
延暦3年(784)、日光山の開祖・勝道上人が男体山登頂後に修行の場として建立した。本堂の本尊は、男体山を極めた勝道上人が、湖上に現れた千手観音を彫り上げたものといわれ、桂の木を根がついたままの立木の状態で彫ったという十一面千手観音菩薩像・立木観音(国重要文化財)。坂東三十三観音霊場の第十八番札所でもある。また、高台に建つ「五大堂」は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の「五大明王」が安置されている御堂。ここからの中禅寺湖の眺めはまさに絶景。
延暦7年(788)、勝道上人が建立した日光山輪王寺の別院。弘法大師や慈覚大師も訪れたことにより、ますます信仰も深まったといわれる。その名の通り境内には勝道上人が発見した薬師湯があり、行事のない日には観光客でも入浴できる。源泉かけ流しのにごり湯で、療養、延命のご利益のある名湯として親しまれている。
東照宮境内、陽明門の前に並び立つ櫓造の2棟の建物で、寛永の大造替の時に建てられた。左側が太鼓を置く鼓楼、右側が鐘を吊るす鐘楼で、江戸時代には、祭の始めに太鼓を、終わりには鐘を打っていたという。また、鐘楼の近くには、オランダから献上されたと伝えられる蓮燈籠[はすどうろう]と朝鮮から奉納されたという朝鮮鐘、鼓楼付近にもオランダから贈られた回転燈籠と釣燈籠があり、いずれも当時の各国との友好親善の象徴となっている。
東照宮境内陽明門の左手奥に位置する、間口三間の入母屋造の建物。毎年春と秋の2回行われる、千人武者行列の際に使用される3基の神輿が納められている。右から秀吉公、家康公、頼朝公の神輿で、行列の際中心となって神橋近くの御旅所[おたびしょ]まで渡御される。内部の天井には、金箔の上に鳳凰や唐草とともに楽器を演奏する3人の天女が極彩色で描かれている。
輪王寺大猷院の仁王門をくぐり、石畳の広場の右側にある水舎。現在はほとんど消えているが天井には狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]による龍が描かれている。その龍が水盤に映し出されることから、「水鏡の竜」ともよばれる。
輪王寺大猷院の正門。高さ3m20cmの密迹金剛[みっしゃくこんごう]と那羅延金剛[ならえんこんごう]の2体の仁王像が左右に安置され、門を守っている。
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
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