
日光東照宮 神厩舎
東照宮境内上神庫[かみじんこ]の向いに立つ、神に仕える神馬をつなぐ簡素な厩舎。境内唯一の素木[しらき]造の建物。猿は病気から馬を守るという信仰から長押上には8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら人の生き方を表わしている。その中でも参道側左から2番目にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻(重要文化財)は有名で、想像の象や眠猫とともに東照宮三彫刻といわれている。
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東照宮境内上神庫[かみじんこ]の向いに立つ、神に仕える神馬をつなぐ簡素な厩舎。境内唯一の素木[しらき]造の建物。猿は病気から馬を守るという信仰から長押上には8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら人の生き方を表わしている。その中でも参道側左から2番目にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻(重要文化財)は有名で、想像の象や眠猫とともに東照宮三彫刻といわれている。
嘉祥元年(848)、慈覚大師による創建と伝えられる。二荒山神社の大鳥居前に立つ堂で、向かって左側が常行堂[じょうぎょうどう]、右側が法華堂[ほっけどう]。どちらも宝形造総朱塗りの建物で、2つの堂宇は橋廊下でつながる。このような形式を担い堂[にないどう]ともよび、他では比叡山などでしか見ることができない。公開は常行堂のみ。
延暦3年(784)、勝道上人が創建。二荒山大神を祭る。男体山山頂にある奥宮と山内にある本社の中間に位置するので、中宮祠の名前が付いた。本殿や唐門のほか数多くの建造物があり、本殿右側には山頂参拝への登拝門がある。山頂奥宮までの登山(4月25日~11月11日の間のみ可)は往復約8時間。
東照宮内の神厩舎を過ぎた、参道の曲り角にある清楚な雰囲気の建物。元和4年(1618)、佐賀藩主・鍋島勝茂による奉納で、唐破風銅板葺きの豪華な屋根を12本の花崗岩の角柱で支えている造りが特徴。当時としては画期的なサイフォンの原理を応用し、花崗岩でできた水盤から常に水が噴き出る仕組みになっている。飛龍と立波の透彫や鯉など、すべて水にちなんだ彫刻ばかり施されている。
東照宮大造替の際に建てられたもので、表門をくぐり右側から正面に鉤の手状に並んでいる。東大寺の正倉院と同じ校倉造[あぜくらづくり]、朱塗りの3棟の建物だ。手前から下神庫・中神庫・上神庫とよばれ、この三神庫には千人武者行列に使う1200人分の装束が収納されている。上神庫の妻には、黒と白の「想像の象」といわれる彫刻が飾られており、東照宮三彫刻の一つ。
二荒山神社の神苑内(有料)にある大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀った宝形造[ほうぎょうづくり]の建物。大黒天と同一視され、招福の神として親しまれている。内部には大国像や日光招き大国、宝刀などが納められている。毎月第2土曜(6・12月除く)には大国殿の縁日があり、6月の第1土・日曜には「だいこくまつり」が開催される。
輪王寺三仏堂の裏側に位置する護摩祈願所。三仏堂が国家安泰等の祈祷を修すのに対し、大護摩堂は個人の願い事のために護摩を焚いて祈祷するところ。7時30分、11時、14時の1日3回。堂内には本尊の不動明王を中心とした五大明王の他、十二天、七福神、天海大僧正の坐像など30尊が祀られている。
二荒山神社中宮祠の拝殿右側にある鳥居。明和6年(1769)建立。基脚の蓮弁に神仏習合の名残りをとどめる珍しいもので、国の重要文化財に指定されている。
天平神護2年(766)、はじめて大谷川を渡り、山内に足を踏み入れた勝道上人が立ちのぼる五色の雲を見て、この地が4神守護(青竜・朱雀・白虎・玄武)の霊地だと悟り御堂を建立。四本竜寺と名付けたと伝えられる。観音堂・三重塔(重要文化財)は江戸時代の再建で、三重塔前には勝道上人が拝したと伝わる紫雲石がある。
輪王寺所管の堂塔は神仏習合の地である山内一円に散在している。平安時代に朝廷から一山の総号として満願寺[まんがんじ]の名を賜り、後に、円仁[えんにん]の来山により天台宗となった。鎌倉時代には皇族座主が始まり、以後も日光三所権現信仰の中心として栄えた。比叡山延暦寺[ひえいざんえんりゃくじ]、東叡山寛永寺[かんえいじ]と並び、天台宗三本山の一つに数えられ、大般涅槃経集解59巻は国宝。明治時代の神仏分離令によって、一時は満願寺に復称となったが、明治16年(1883)に寺号復活し、今日の輪王寺になった。
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