天然の一枚岩が約10km続く渓谷。ジャブジャブと歩くことができ、夏は絶好の遊暑地となっている。近くには、温泉付きキャンプ場「華じ花」もある。
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営業時間 |
散策自由
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定休日 |
散策自由
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住所 |
大分県中津市耶馬溪町大字深耶馬
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交通アクセス |
大分道玖珠ICから国道387号、県道28・27・602号経由23km40分
JR豊後森駅→車30分
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電話番号 |
0979543111
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情報提供:株式会社JTBパブリッシング
2025/06/13
2025年06月15日 18時00分発表天気情報提供元:ウェザーニュース
時刻 | 0時 | 3時 | 6時 | 9時 | 12時 | 15時 | 18時 | 21時 |
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天気 | - | - | - |
晴 |
晴 |
曇 |
雨 |
曇 |
気温 |
28°C |
26°C |
25°C |
25°C |
25°C |
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降水量 |
0mm |
0mm |
0mm |
1mm |
0mm |
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風向き |
西 |
北西 |
東 |
東南東 |
南南東 |
天正18年(1588)、黒田官兵衛孝高(如水)が、山国川河口の地に築城し、その後、細川家、小笠原家と続き、享保2年(1717)から奥平家の居城となり、廃藩置県まで統治した。奥平家は産業振興、蘭学振興等を行い、前野良沢[まえのりょうたく]や福沢諭吉等を輩出する土壌となった。現在の城は、昭和39年(1964)に奥平家が中心となって中津市民の協力のもと、再建したもので、五層の天守閣と二層の櫓からなっている。内部は歴史資料館となっており、徳川家康拝領の白鳥鞘の鑓や歴代当主の甲冑や古文書等数多くの奥平家所蔵の品々を展示している。
江戸時代に仏門に入ったカッパが住んでいたという池と、その墓が残る寺。天保の飢饉のころ、人々が苦しんでいる横で相撲をとっていたカッパたちに、当時の住職が仏法を説いた。「千年生きている我々に文句を言うな」と最初はくってかかったカッパだったが、仏法の貴さに心を打たれ仏門に入る。その後、寺の池に住み、火事や水難から守ったとの言い伝えがあり、火難・水難除けのお守りもある。
天正15年(1587)、黒田孝高[よしたか]によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房[しげふさ]が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている。
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