
青の洞門
明和元年(1764)僧禅海[ぜんかい]が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれる隧道。その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。全長は約342m、現在の洞門は当時の状態からはかなり変化しているものの一部に明り採り窓や、ノミの跡が残っている。
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明和元年(1764)僧禅海[ぜんかい]が30年余りをかけてノミと槌だけで掘ったといわれる隧道。その逸話は菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルとなった。全長は約342m、現在の洞門は当時の状態からはかなり変化しているものの一部に明り採り窓や、ノミの跡が残っている。
深耶馬溪の大自然を望む、掛け流しの温泉を使用した中津市営の日帰り入浴施設。露天風呂と内湯を2つずつ完備する。耶馬溪の紅葉のシーズンには特に賑わう。
天正15年(1587)、黒田孝高[よしたか]によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房[しげふさ]が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている。
職人の町として栄えた、新魚町にある中津藩主・奥平氏の菩提寺。境内にある大雅堂では、江戸中期の南画の大家・池大雅が残した書画47点を保存・展示している。心身ともに充実していた42歳ごろの作品で、これだけの作品が一堂に集まっているのは全国的にも珍しい。1階では寺の宝物を企画展示している。
明治の偉人、福澤諭吉が17~19歳まで過ごした木造茅葺きの旧宅(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ土蔵が現存。記念館内では、『学問のすゝめ』の版本や数多くの遺品を展示している。所要30分。
チワワ、ポメラニアンなどの小型犬を主に飼育。季節に合わせてわんわんパレードや宝さがしなど、さまざまなイベントが行われる。敷地内には四季折々の花を観賞できる花公園も併設。入園者はお気に入りの花を持ち帰ることができる。また、季節により果物の試食ができる。
中津市の歴史的資料や古い民具などを展示している資料館。「青の洞門」のコーナーでは、江戸時代に約30年の歳月をかけて全長360mに及ぶ洞門を貫通させた僧、禅海の一生が紹介してあり、直筆墨書などが見られる。
景勝・耶馬溪に鎮座する1300年以上の古社。雄々しく聳える千年杉、また千年杉の御守、更に「千年杉の根くぐり」から御利益を頂けるとして、遠近から多くの参拝者が詰めかけるパワースポットとなっている。隣接する文化館「古民家カフェ・雲の森」では、雅楽の生演奏を聴くことができ、春や秋には様々な企画展なども行っている。7月29日の例大祭には、カッパの霊を鎮める神事があり、「河童楽」という珍しい鎮魂の楽が奏される。
桜の名所として知られ、春にはソメイヨシノが咲き、3月下旬~4月上旬には桜祭りも開催される。
唯一残っていた「中津和傘」の職人が廃業したことを知り、江戸時代から受け継がれてきた伝統を復興させようと、地元の有志数名で立ち上げた工房。昔ながらの製法を守り、番傘2万2000円~や蛇の目傘3万800円~などを製作販売する。なかでも日傘は女性に人気。伝統を守りつつ、時代に合う新デザインも考案している。作業工程の見学も可能だ。
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