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今和泉島津家の領地である今和泉郷の郷社。豊玉姫命が祭られ、江戸時代には中宮大明神、通称デメジンサーと呼ばれていた。篤姫がココでもらったお札を江戸に上る際、持ち込んだという話も残っている。
第19代島主の種子島久基を祭った神社。神社の名は晩年の号「栖林」から。毎年1月11日には、一年の平安を祈念し、直径175cmの大きな的を弓で射る「大的始式」(室町時代の1501年から500年以上の歴史)の行事を挙行。
種子島家の菩提寺で、文明元年(1469)、第11代島主・種子島時氏によって創建された。それまで律宗だった種子島家は、時氏の代に法華宗に帰依。以後全島をあげて法華信仰が広まった。本源寺の境内には、種子島に法華宗を伝えた日典上人の遺志を継いで、法華宗の弘法に努めた淡路島出身の僧、日良上人の墓や僧の供養碑群が並んでいる。
平安時代中頃に編纂された、『延喜式神名帳』にも記されている古社。『日本書紀』には推古天皇の時代に30人の掖玖(屋久)人が都を訪れ、朝廷も掖玖に高官を派遣したとの記述がある。また同じころ、琉球へ向かった中国の隋の使いの水先案内人を掖玖人が務めたとも伝えられている。当時の日本と海外との交易は黒潮の流れと季節風を利用。鎮護国家や航海の安全などを祈るこの神社は、南西諸島の海上交通の際の寄港地として屋久島が重要視されていたことを示すものだ。
宝満の池のほとりにある神社。創建年代は不明で、遠い昔、多ね国が置かれた時代に、太宰府宝満宮を勧請したともいわれる。祭神は玉依姫。18人の従者を連れてこの地に降臨したと伝えられる神様で、降臨の際に、米の原種の赤米を持参したとか。毎年4月に催されるお田植え祭りでは、社人夫婦の手で、赤米の苗が神社の境内の神田に植えられる。
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