
龍潭寺
天平5年(733)、行基が開山した古刹で、井伊家代々の菩提寺。本堂のうぐいす張りの廊下、竜の彫刻は左甚五郎[ひだりじんごろう]作と伝わる。織田信長の遺品や井伊家ゆかりの品々などがある。国指定名勝小堀遠州作龍潭寺庭園、静岡県指定文化財龍潭寺本堂等が見どころ。
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天平5年(733)、行基が開山した古刹で、井伊家代々の菩提寺。本堂のうぐいす張りの廊下、竜の彫刻は左甚五郎[ひだりじんごろう]作と伝わる。織田信長の遺品や井伊家ゆかりの品々などがある。国指定名勝小堀遠州作龍潭寺庭園、静岡県指定文化財龍潭寺本堂等が見どころ。
神亀3年(726)、聖武天皇の勅願寺として建立された古刹。「優れた教え」という意の梵語が寺名の由来。木造の千手観音像(重要文化財)や、不動明王像(重要文化財)などの寺宝が安置されている。鎌倉時代初期に造られた庭園は、東日本では珍しい平安様式の名園。桜や白樺などの古木が四季折々の美しさを見せる。
1300年の歴史をもつ高野山真言宗の別格本山。総本尊のお薬師様は嵯峨天皇の病魔退散を祈願した仏様。また、本尊のお地蔵様(国重要文化財)は子供を産んだ女性であり(普通お地蔵様は男性)、家内安全、安産、宮参り、厄除けといった家まもりの寺としても有名。「春は岩水寺から」といわれ、遠州きっての桜の名所としても知られる。
天正7年(1579)徳川家康の長男、信康は織田信長に嫌疑をかけられ、二俣城内で自刃した。家康は後に信康供養のため、二俣城の北東の地に清瀧寺を建てさせた。清瀧寺の境内には信康をまつった廟がある。
約350年前に中国からの渡来僧・独湛禅師[どくたんぜんじ]によって創建された黄檗宗[おうばくしゅう]の寺院。境内には創建当初の面影を残すものが多く、仏殿・方丈は黄檗宗伝来初期の建物として国の重要文化財に指定。梁の武帝像や独特の中国明朝風様式は、大陸的な雰囲気を漂わせ、興味深い。境内には商売繁盛の石として人気の「金鳴石」も。
水窪[みさくぼ]から青崩[あおくずれ]峠に向かう道沿いにある、足の神様を祭る神社。鎌倉時代に諸国を漫遊していた北条時頼が、ここで傷めた足を癒したというエピソードに由来している。
標高1107mの山住峠にあり、お犬さま信仰で知られる神社。元亀3年(1572)、三方ケ原の戦いで苦戦中の徳川家康を犬たちが一斉に吠えて敵を散らせ、守ったと伝えられる。境内の樹齢1300余年の杉の巨木が見もの。
元正天皇の勅命を受けた僧行基により開創された古刹。奥之院の摩利支天[まりしてん]は今川家、徳川家御本丸の祈願所として信仰されてきた。また、国内最大級の大黒天を祀る大黒殿があり、遠州福の神として信仰を集めている。近年はパワースポットとしても話題に。11月中旬~12月にかけて、四季桜と紅葉のコラボレーションが楽しめる。
貞観17年(875)に創建された真言宗の古刹で、猪鼻湖を望む山間にある。この寺が起源という名物の浜名納豆は、豊臣秀吉、徳川家康が唐納豆と称して愛用したという。宝物を展示する聚古館には、重要文化財を含め数十点の寺宝を収蔵。また、広大な境内には10~3月上旬にかけて少しずつ咲くという半歳桜[はんとしざくら]で知られる。
方広寺境内にある鎮守堂。中国各地で修行した開山禅師を帰国途上、海難の危機から救ったという半僧坊を祀った半僧坊真殿がある。
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