
村上神社
蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
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蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
鉈[なた]彫りの素朴な仏像で知られる江戸初期の僧・円空が、1年間逗留した臨済宗の古寺。円空晩年の傑作という聖観音など、17体が安置されている。拝観の条件は時期によって変わる可能性があるので、事前の問合せが必要。
初代藩主の金森長近が天正13年(1585)に城下町を造営する際、浄土真宗の門徒の中心道場として建てられた寺。その後幾度か火災に遭い、現在の本堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。寺宝館(希望すれば拝観は可能だが、15時まで。無料)には親鸞[しんらん]上人の一代記を描いた絵など、貴重な宝物100点余りが展示されている。また、庫裡は飛騨随一の豪農であった杉下家の民家を移築したものだ。
隣接する雲龍寺の末寺にあたる小さな寺だが、創建は古く応永25年(1418)。手入れのゆきとどいた境内に弁財天を祭る願王殿がある。
東山神明神社、錦山神社と並ぶ、東山三社の一つ。創建が養老3年(719)と高山市で最も古い神社といわれ、境内に佇む夫婦杉は歴史を感じさせる。
全国でも珍しい、泥棒をかくまったという伝説がある神社。高山市街の北部、宮川沿いの閑静な地にたたずんでいる。昔、高山市内から泥棒を追いかけると、いつもこの神社の付近で見失ったと伝えられることから盗人神と呼ばれるようになったとされる。現在では盗るという言葉にかけて、客をとる、愛を勝ち取る、人気をとるなどとそれぞれの「とる」に願を掛けて参拝する人もいる。願いごとがある人は「とる」という言葉にかけて願を掛けよう。
僧栄西がインドから持ち帰った、如意輪観音半跏思惟像[にょいりんかんのんはんかしいぞう]を本尊とする曹洞宗の禅刹。天保12年(1841)、素玄寺の塔頭[たっちゅう]として再建された。もとは金森氏以前に飛騨を治めていた三木[みつき]氏の菩提寺で、座禅体験もできる。料金:一般1000円・小中学生500円、所要:1時間、要予約。
承平年間(931~938)の創建と伝えられる古社。中世以降荒廃していたが、文政3年(1820)に江戸時代の国学者・本居宣長[もとおりのりなが]の門弟によって再興された。飛騨地方にある18社が奉られ、ここで参拝すれば18社すべてを参拝したのと同じご利益があるとされる。5月4・5日に開かれる例祭では、古式ゆかしい千人行列のほか、二人一組による親子獅子舞も行われる。総勢22頭もの獅子が一緒に舞う様は圧巻だ。
聖武天皇の勅願で建てられた国分寺の一つで、天平18年(746)に創建。室町時代に再建された本堂(重要文化財)には藤原期の薬師如来坐像(重要文化財)、聖観世音菩薩立像(重要文化財)の本尊を安置。また、塔は創建時は七重の塔で、焼失を繰り返すたびに小型化し、現存の三重塔は文政4年(1821)の再建。境内の北東隅にある直径1.8mの大石(史跡)は、創建時の七重大塔の心柱礎石といわれ、真ん中に直径約58cmの柄穴がある。鐘楼門は高山城から移築したものとされる。
金森長近の長男、長則の菩提寺。長則は織田信長に仕え、本能寺の変によって19歳で戦死した。寺の創建は養老4年(720)といわれる。屋根に露盤と宝珠をのせた珍しい鐘楼門があるが、この門は高山城の黄雲閣を移築したもの。鐘楼門からは市街を見渡せる。借景式庭園もすばらしい。
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