村上神社
蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
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蒲田[がまだ]川をはさんで栃尾温泉の対岸にある、奥飛騨温泉郷の総鎮守社。福地温泉で静養したと伝えられる、第62代村上天皇を祭る。境内には、槍ケ岳と笠ケ岳を開山した播隆上人ゆかりの播隆塔が立つ。毎年5月10日には村上神社例祭や播隆祭が行われる。境内の大杉も必見。
慶長10年(1605)、飛騨の国守金森長近が、城の鎮守と高山の南側地域の氏神として社地・社殿を寄進した。以来、北の鎮守・桜山八幡宮に対する南の鎮守として崇拝を集めてきた。春の高山祭はこの神社の例祭として行われる。本殿は流造、拝殿は三方に縁の付いた方三間寄棟造になっている。拝殿前の高さ43m、樹齢1000年の大杉は県の天然記念物。
全国でも珍しい、泥棒をかくまったという伝説がある神社。高山市街の北部、宮川沿いの閑静な地にたたずんでいる。昔、高山市内から泥棒を追いかけると、いつもこの神社の付近で見失ったと伝えられることから盗人神と呼ばれるようになったとされる。現在では盗るという言葉にかけて、客をとる、愛を勝ち取る、人気をとるなどとそれぞれの「とる」に願を掛けて参拝する人もいる。願いごとがある人は「とる」という言葉にかけて願を掛けよう。
金森長近の長男、長則の菩提寺。長則は織田信長に仕え、本能寺の変によって19歳で戦死した。寺の創建は養老4年(720)といわれる。屋根に露盤と宝珠をのせた珍しい鐘楼門があるが、この門は高山城の黄雲閣を移築したもの。鐘楼門からは市街を見渡せる。借景式庭園もすばらしい。
高山北部の鎮守社で、秋の高山祭はこの神社の例大祭。正式名称「高山祭の屋台行事」として昭和57年(1979)重要無形民俗文化財、平成28年(2017)ユネスコ無形文化遺産登録。創建は仁徳天皇のころで、凶族の征伐にやって来た難波根子武振熊命[なにわねこたけふるくまのみこと]が戦勝祈願をしたのが始まりと伝えられている。元和9年(1623)、2代目高山城主・金森重頼が社殿を寄進して再興した。現在の総檜造りの社殿は、昭和51年(1976)に新築されたもの。商売繁盛・学問の神・厄除けの神などを祭る5つの社がある。奉納の絵馬、大きな手水鉢、逆さ桐の灯籠など見どころも多い。
僧栄西がインドから持ち帰った、如意輪観音半跏思惟像[にょいりんかんのんはんかしいぞう]を本尊とする曹洞宗の禅刹。天保12年(1841)、素玄寺の塔頭[たっちゅう]として再建された。もとは金森氏以前に飛騨を治めていた三木[みつき]氏の菩提寺で、座禅体験もできる。料金:一般1000円・小中学生500円、所要:1時間、要予約。
東山神明神社、錦山神社と並ぶ、東山三社の一つ。創建が養老3年(719)と高山市で最も古い神社といわれ、境内に佇む夫婦杉は歴史を感じさせる。
寛永9年(1632)に創建の臨済宗の名刹。本堂の建物は禅宗様式と唐様式が混交した重厚な構えが特徴で、高山城から移築したという石垣の上に立っている。また、山岡鉄舟がこの寺で禅学を修めたといわれ、境内にはその鉄舟の碑や鉄舟の両親の墓がある。
御祭神・菅原道真公は学問・文化芸術・厄除けの神様として広く崇敬されている。飛騨の天神様として多くの参拝者が訪れる。天神様のお遣いである牛の石像が見どころ。春には境内全体が梅花で彩られる。合格祈願絵馬・願掛け撫で牛・開運厄除け割符が好評。檜[ヒノキ]で作られた特別仕様の御朱印も「木の国飛騨高山」らしいと人気を集めている。
初代藩主の金森長近が天正13年(1585)に城下町を造営する際、浄土真宗の門徒の中心道場として建てられた寺。その後幾度か火災に遭い、現在の本堂は昭和39年(1964)に再建されたもの。寺宝館(希望すれば拝観は可能だが、15時まで。無料)には親鸞[しんらん]上人の一代記を描いた絵など、貴重な宝物100点余りが展示されている。また、庫裡は飛騨随一の豪農であった杉下家の民家を移築したものだ。
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