
輪王寺大猷院 鐘楼・鼓楼
日光山内で最大の門といわれる輪王寺大猷院の二天門をくぐり抜けて、石段をのぼりつめる途中に立つ。石段に登って右側にあるのが鐘楼、左側が鼓楼。周辺にずらりと並ぶ唐銅製の燈籠は、10万石以上の諸大名から寄進されたもの。石燈籠と合わせて315基にものぼる。
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日光山内で最大の門といわれる輪王寺大猷院の二天門をくぐり抜けて、石段をのぼりつめる途中に立つ。石段に登って右側にあるのが鐘楼、左側が鼓楼。周辺にずらりと並ぶ唐銅製の燈籠は、10万石以上の諸大名から寄進されたもの。石燈籠と合わせて315基にものぼる。
二荒山神社本殿の透塀に沿って寄進された多くの石燈籠とともに並ぶ唐銅製の燈籠。夜更けに灯をともすと、ゆらゆらと怪しげな姿に変わるというので化燈籠の名がついた。警固の武士に斬りつけられた無数の刀傷が残る。
唐門と透塀に囲まれた東照宮の中心となる権現造の建物。拝殿の天井には百間百種の龍[ひゃくまひゃくしゅのりゅう]、欄干には土佐派の絵師、土佐光起[とさみつおき]筆の三十六歌仙の額が掲げられている。拝殿と本殿を石ノ間がつないでおり、一般の参拝は本殿の手前の石ノ間まで。
男体山(二荒山)の主神大己貴命[おおなむちのみこと]と、女峰山の神、田心姫命[たごりひめのみこと]と、太郎山の神、味耜高彦根命[あじすきたかひこねのみこと]を祀る。勝道上人の開創とされ中宮祠は中禅寺湖畔に、奥宮は男体山頂上にあり、本宮神社、滝尾神社は別宮。もとは日光三社権現の一つだったが、明治の神仏分離令によってここを本社にし、二荒山神社と称するようになった。南北朝期の大太刀など国宝に指定される宝物も所蔵。拝殿の左手、神苑には、化燈籠[ばけとうろう]や大国殿などがある。
二荒山神社神苑内(有料)の二荒霊泉の手前奥、杉の巨木に囲まれて立つ神社。祭神は知恵の神とされる少彦名命[すくなびこなのみこと]。また、神社の隣には良縁の守護神といわれている縁結び笹がある。男女の良縁をはじめ、仕事や友人などあらゆる良縁に恵まれるといわれている。
輪王寺三仏堂の後方にある、高さ13mの青銅製の供養塔。寛永20年(1643)、徳川3代将軍家光公の命を受け、天海大僧正が比叡山の相輪とうにならって建立したといわれる。とう内には1000部の経典を収蔵。4本の副柱に支えられた塔身には24個の金鈴と金瓔珞[ようらく]の装飾が施され、この鈴風にあたると、人間はもちろん鳥獣草木に至るまで仏の功徳を受けられるといわれる。
輪王寺大猷院は拝殿・相之間・本殿が一つの棟になる権現造になっている。なかに入ると、まず、広々とした拝殿で、狩野探幽[かのうたんゆう]、狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]筆の唐獅子の図がある。その奥が相之間。そこからさらに進むと、本殿に至る。ここは一段床が高くなっている仏殿様式。正面御宮殿には大猷院殿(家光公)の御尊像を祀っている。数多くの彫刻が施され、金をふんだんに取り入れていることから、金閣殿ともよばれている。
女峰山の女神、田心姫命を祀る二荒山神社の別宮。本社から北西に約1km、杉並木の探勝路を進むとたどり着く。参拝のあとは、白糸の滝や運試しの鳥居、樹齢250~300年の滝尾三本杉などもチェックしておきたい。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
東照宮境内、表門をくぐると左手に、神馬をつなぐ厩[うまや]・神厩舎[しんきゅうしゃ](重要文化財)が立つ。その神厩舎の長押[なげし]上に施された8態の猿の彫刻は、子供から大人に成長する猿の姿が描かれ、人の一生を物語っている。なかでも子供時代を表した三猿の彫刻が有名。悪いことは、見ざる・言わざる・聞かざるという意味が込められている。
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